みーちゃん

飢餓海峡のみーちゃんのレビュー・感想・評価

飢餓海峡(1965年製作の映画)
4.2
水上勉の原作が良いのだろうけど、とは言え、映画にしたら、いくらでも薄っぺらくなりそう。先ず脚本が優れていると思う。社会を描くマクロの視点とパーソナルを描くミクロの視点が素晴らしく、それによりドラマの要素が何層にも重なることを実感した。

私が注目したのは娘の訃報を受けて青森から上京した加藤嘉が、霊安室で杉戸八重の遺体と対面した時のセリフ。

彼は刑事達に娘の経歴を聞かれ「高等小学校を出た後、大湊で働きたいと言い、真面目な働き口につくと思ったから妻と相談して街に出したところ、すぐ女郎になってしまった」という趣旨の証言をした。

でも、時間を戻すと、八重は犬飼に「家の借金を返すために自分は女郎屋から抜けられない」と言っていた。それを裏付ける場面として、彼女が父親を温泉に連れていき、東京行きの話をした時、加藤嘉は「家の借金はどうする気だ」と、全てを娘に負わせる発言をしていた。しかも、自分は死ぬまで(たとえ稼げなくても)木こり稼業を変える気はないと、責任放棄を宣言していた。

つまり、遺族の言葉さえ真実は分からない。人の良さそうな田舎者のくせに、なんて親父だと、一瞬軽蔑しそうになったが、もし自分が彼の立場だったら?と考えると、村が貧しいから、暮らしが成り立たないから、自分に甲斐性が無いから娘を売ったなんて口が裂けても言えない。目の前の彼らは大都会のエリートで、自分とは生涯交わらない人種だが、同じ父親として、人間として、絶対に言いたくない。

このシーンは映画の中のほんの一部分だけど、私にとって、ラストがどう転んでも大差はなく、全てにおいて善と悪の二元論では割り切れないというジレンマが、強烈に印象に残った。