かなり悪いオヤジ

10番街の殺人のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

10番街の殺人(1971年製作の映画)
3.7
現在イギリスには死刑制度がないそうだ。その廃止の原因となった“エヴァンス事件”を、公判資料をほぼそのまま流用して映画化した“true story”らしい。連続殺人事件が題材となっているだけに、さぞ重々しい演出がされているのかと思いきや....麻酔薬をいれる瓶とガス管そして絞殺用の麻紐だけを使って5人の女性と赤ん坊を次々と殺めていく連続殺人犯を、なんとあのオスカー監督リチャード・アッテンボローが演じているのだが、これが実に軽い。

モデルとなった真犯人クリスティ(アッテンボロー)の証言によれば、他の4人の殺害は簡単に認めたものの、本作品で詳細に描かれているエヴァンスの妻とその娘の殺害については最後まで否認していたそうで、クリスティが死刑になった現在、真相は薮の中である。妻子殺害容疑で既に絞首刑になっていた旦那エヴァンスが冤罪である可能性が極めて高いことから大騒ぎとなり、英国全体で死刑廃止運動が盛り上がったらしいのである。

大体同居している旦那がいるにも関わらず、階下の住人が避妊を理由にその妻を殺害してしまう神経からして尋常ではなく、中庭や台所横のパントリー、そして寝室の床下にまで死体を隠していたクリスティの異常性はもはやいうまでもないだろう。フライシャーはそんなクリスティをドクター・ハンニバルのような“怪物”ではなく、旦那や警察、自分の奥さんの前でも飄々とシラを切り続ける根っからの“嘘つき人間”として演出しているのである。

極めつきは、濡れ衣を着せられたエヴァンスの絞首刑シーンである。“ボキッ”という首の骨が折れる音と、死体を隠すため床板をはがしていたクリスティのぎっくり腰の音がものの見事に重ねられているのだ。不公平な冤罪の二面性が見事に表現されているワンシーンなのである。職人リチャード・フライシャーは、ケン・ローチのように正義の拳を大袈裟に振り上げることもなくどこか覚めた眼で、この冤罪事件を皮肉な人生の珍事として見つめているのである。

それは、映画製作にのめり込み過ぎることもなく、いつも淡々と粛々と映画を作り続けてきた日本の成瀬巳喜男と同じ距離感とはいえないだろうか。撮影スケジュールや予算をきっちり守り、与えられた企画を予定通りに仕上げてきた第4の巨匠である。映画のテーマに対して監督が近視眼になりすぎると、得てして観客は置き去りにされるもの。そんな心配ご無用のフライシャーや成瀬は、コスパやタイパに優れた今時の映画監督と云えるのかもしれない。