まりぃくりすてぃ

サラのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

サラ(1993年製作の映画)
4.8
イランの名匠メールジュイによる、イラン初の本格的フェミニズム映画の金字塔! 主演の超美人女優の落涙シーン(ナント三大陸映画祭最優秀女優賞、サンセバスチャン国際映画祭最優秀女優賞)に恐怖したイラン当局(ハタミ政権誕生の少し前)が、本作以降、検閲強化して女優のクローズアップを禁止にしちゃった。
私は親戚がペルシャ人なので、サフラン入りの黄色い氷砂糖で紅茶を飲み、変なお菓子や輝くフルーツを食べ、イラン映画をいっぱい吸い込んで育った。詳しすぎるからと思って今まで遠慮してイラン物はほとんどfilmaレビューしてこなかったけども、ちょっと最近、ジェンダー関係を考えさせられた流れで、これ久々に自分ちで観てみたんだ。
メールジュイは、1990年代初頭に同国批評家連が選んだ歴代監督十傑の第2位。(ちなみに1位ベイザイ、3位ナデリ。当時としては順当だね。キアロスタミは7位だった。)“イランのクロサワ” であるメールジュイを五作観るまでは世界映画を語るな、と佐藤忠男が叫んだかどうか知らないが、イラン史上最大ヒットコメディ『間借り人たち』を86年に世に出したメールジュイは、遡って69年の大傑作『牛』ではイラン初のリアリズムを力強くやってる。過剰演出や文学への無知の散見する黒澤明よりも、私はメールジュイが倍は好き。鑑賞者にノイズを与えない本当にすばらしい映像魔術師だもん。
そんな匠が「19世紀のノルウェイの戯曲『人形の家』をなぜこうしてヒロイン名をノラからサラに替えてイラン向けに丁寧に愛情こめて翻案したのか?」と問われて「現代のイランにぴったりの話だから」と答えたことに、女性として私は拍手。
といっても、子供の頃に最初観て「やだなぁー」と思って当時はイランが嫌いになっちゃった。(今もいくつかの意味で好きじゃないけど。あと、最近のイランにはちょっと興味が減ってるかも。)まあ、子供が楽しんで観れる内容じゃないもんねコレ。でも、今からでも岩波ホールあたりで一カ月ぐらい映してほしい。大勢に観てほしい。古びない内容。
93年制作
95年、福岡国際映画祭で日本プレミア
96年、渋谷ユーロスペース “イラン映画祭” で上映
97年、NHK・BS “アジア映画劇場” 枠で放送
以後、日本では放送も上映もなし。(私はBSのを親がVHS録画したのを円盤にダビングして持ってる。)

ノルウェイのイプセンの原作を、まさに90年代イラン(2020年代もほぼ一緒だろうけど)に完全フィットさせてある。凄いと思うよ!
重苦しい弦楽重奏のオープンロール。黒ベタに白ヌキの小さなペルシャ文字が物悲しく右隅に寄ってる。まるで縮こまらされてる女性たちの心のようだ。
ファーストカットは煙草と手元。結婚指輪あり。てっきり男性? 吸ってるのは主役サラだとすぐ示す。無造作なようで攻めっ気満々な映像。撮影者マフムード・キャラーリーは以後もずっと巧い。監督の手足に&私たちの眼に、なりきってくれてる。ずっと。
サラ役ニキ・キャラミは当時売れっ子。アリータバトルエンジェルとアヌーシュカシャルマとシュリデヴィカプールと満島ひかりを足してくり抜くように割ったような丸顔。物語的にもちろんそうなるんだけど、とにかく私たち全鑑賞者を彼女は最初から最後まで全面的な味方につけます。
彼女を苦しめる小悪党ゴシタシブ役のホスロ・シャキバイは、当時イランで最売れっ子の男優。小悪党として見かけも胡散臭くて私は子供心に気色悪~って思ってたけど、今見ると、メガネ外したりしてる姿はゾクゾクするぐらいカッコいいじゃんすか。だから、小悪党ってよりも(哀れで)一番いい人って感じを後半に向けてかすかなカッコよさ込みで出してく絶妙物語を的確に担ってくれます。
うん、「的確」な映画作り。何もかも的確。
サラを真に苦しめるのはもちろん夫ヘシャム(アミン・タロフ)。こいつは一般イメージのイエスキリストそっくり。サラ役のニキの美貌がアレだから、夫婦で映ってるとまるでイエス&聖母マリアのピエタか何かを連想させます。(ところで、ヘブライ語でコンニチハはシャロームで、ペルシャ語ではサラームなんだよね。喧嘩ヤメナサイ。)
イプセンのは「人形のように溺愛される妻」っていう原作だけど、そこはイランだから、夫婦ベタベタは描けません。たまに蜜月表現として夫が「フッフッフッフッフッ」と笑うんだけど、怖いんだよね。結局、終始この夫婦は緊張感を私らにくれちゃいます。
実際、ラスボスであることが最初からわかってる夫が、いよいよ終盤たっぷり30分間ぐらいヒロインを私たちを怖がらせてくれます。何の大げさホラー事件が起こるわけでもないのに、充分にホラーサスペンスです。それほどまでに、女性圧迫社会における夫は、存在そのものにホラー性があるんだよね。。
先に書いた妻の落涙のところのアップ。(イラン的には)これ以上ないってぐらいの大映しの顔が、それも仮面のように整いきった完璧な美貌が、右に、左に舞踊的に揺れながら、片目だけの涙をツーッと落とす。その場面はもう世界映画史にずっと残るべき “呪術性” に満ちてる。何か古代から続くような崇高で端整で生臭くもある本当にエモな場面です。泣いてるわけだし。

さて、サラの女友達シマ役のヤースミーン・マレクナスルがまた別タイプ(面長)の美人。幼い金髪の娘も美しくて可愛い。お婆さんはイランの昔のお婆さんにありがちなシボシボの萎みキャラ。ほかは銀行OL等々。全員、的確なすばらしい演技です。
しつこく書くけど、的確です。撮影も。台車撮影のスムーズさ平均を優に越してるスムーズさを逆に訝りたくなるぐらいに一切の振り動かしが風格ありで、たった一カ所、バザール(市場商店街)のとこだけ手持ち。心理劇であることから接写が多いんだけど、無造作にはそれをせず、一つ一つのアップから意味や効果が迸ってる。あざとさもない。
とにかく、巧い。映画を作り慣れてる。慣れすぎてもいなくて、ひたすら的確な慣れっぷり。名匠!!!!!
女優の美は、当然のことながら変な女優アピなし。完全に物語のためにだけ燃え残りなく燃え上がってる。特にやっぱり、眼。イランって国は、若い男女が気軽に声掛け合ってお近づくような自由は昔も今もなくて、ナンパみたいなのはありえない。その代わり、例えばレストランとか道ばたとかで、眼と眼で一瞬の求愛や返事をしたりする。(十秒以上見つめ合ったりすると逮捕されたりするみたい。)眼と眼の会話が元々凄い国なのだ。国民みんながそうなのだ。だから、俳優に限らず、眼パワーが凄い。これは単に人種的なものではない。イランでは、男も、女も、眼で語るのだ。髪は隠され、服も黒ばかりで覆われ、、そんな土壌の中で選びに選び抜かれて銀幕に登場してきたニキ・キャラミのお月様顔なのだから、圧倒的眼ヂカラで凄い演技を全瞬間に繰り広げるぐらいは自然なことなんだよね! その結果の、『人形の家』だから! 私たち全員がヒロインに感情移入してるから! 原作完璧だから!
視力を犠牲にしてまで純白ドレスを縫いつづける彼女が、ドレスの海で眠っちゃう。ドレスの上に、指血を垂らす。そう、映像もずっと完璧だから。表現してる。ずっと表現してる。
ペルシャ語の発音がそうなのか、超絶美人のニキがしばしば「ンゴォー」みたく聞こえる荒い喉音を立てて喋る。口論パワーも凄いよ。
全然遠慮してないこのイランヒロイン。よし、負けるな。
ラストの言い負かし。颯爽と。(イランでは妻からは離婚請求できないので、結末行動は別居~実家へ、です。)夫役はイイ子ちゃんとなって言われっ放します。ここまで男性が女性に言われっ放すアジア映画って、ほかに知らない。
そしてエンドロールは、軽快な決意のオルガン音楽を背に、ペルシャ文字たちが(さっきと違って)堂々と画面の真ん中にあります。男性監督(しかも巨匠)がよくやってくれました! 拍手! イラン頑張れ! いい国になれ! 応援してるよ! 地球のみんな、それぞれの地元をいい地元にしていこうね!
満点にしなかったのは、(子供時代に観た時はとんでもなく唐突って思っちゃった)小悪党の心変わりのとこを、さらにさらに運命的に自然にしてほしかったってとこかな。別に悪くはないんだけどね。主要四人の中でまちがいなく実績上は最高俳優であるふしぎにイケてる小悪党役さんに美しい助演女優さんをあてがってることの、効力はそれなりにあるんだけど、もっともっとイケたんじゃないかな、と口惜しむ。

ところで、イラン映画では家の中でも女優がみんなヴェールかぶってるけど、あれは映画だからであって、実際は髪をさらす。
あと、イランでは男性のネクタイ姿は西洋的堕落の象徴として避けられてるため、銀行の支店長とかやっててもノーネクで第一ボタン開けたシャツ+ジャケット。それが子供の時の私にはだらしない恰好に思えて、夫のヒゲとか小悪党の青ヒゲ濃いっぽさふくめて、とにかくイランの男の人ってイヤな感じ~と思ったんだけど、今あらためて観てみたら、そのへんの不快感はもうなかった。

イランとかああいう国々では、女性はみんな圧迫されてて男性はみんな威張りすぎてるイメージやっぱ強いけど、、私の知り合いの経験を最後に一つ書いておきます。
ずっと前、イランイラク戦争で徴兵されて戦場へ行ったイラン男性(当時若者)の話。殺るか殺られるかの大緊迫時に咄嗟にナイフで敵兵を殺して、それは彼が生まれて初めて(たった一度)人を殺した経験なのだけれど、決まりにより、彼は少しでも戦利品みたいなものを探って死体のポケットとかをあさった。そしたら、敵兵イラク人の胸ポケットから、妻と子供の写真が出てきた。それを見て未婚のイラン青年の彼は、発狂して一週間ぐらいまともに喋れなくなったそうです。イラン兵も、イラク兵も、それぞれに家族を女性子供を愛する心を持っていたんです。
男も女もない。人が人を苦しめたり傷つけたり殺めたりすることのない世界を、つくっていきたい。。。。。。