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尻に憑かれた男のemilyのレビュー・感想・評価

尻に憑かれた男(2007年製作の映画)
4.3
 骨董店を営むロウレンソは女性の尻が大好きで、ある日理想的なお尻を見つける。仕事では客の持ってくる商品を叩き買いし、屈辱を与えることを楽しんでいる。

 シリアスタッチで入っていくのに、尻に憑かれた男の心の声と行動を観測している内にその悲壮感から、ドタバタ喜劇に転んでいく。ブラックユーモアに包まれ、気が付いたらなんとも摩訶不思議な世界にどっぷりとはまっているのだ。

 骨董店の外の壁沿いを歩くロウレンソをスタイリッシュな音楽と壁の切り替えで見せ、紳士的な風格で近くのカフェに向かう。そうして気になる女性のお尻が見たい。というのが彼の感情で、そのためにはお金を払うという。それ以上は一切求めていない。そんな女からしては勝手に映ってしまう男であるが、何気ない言葉からロマンティックを漂わせ、暴力的な言葉も何故か引力があり、骨董店で客の商品を判定する立場を逆手に取り、すべてを見下し、絶妙な駆け引きを見せる。

 彼女とのやり取りもそうだが、店にやってくるお客さんの数々、そうして客から買った商品を人に合わせたストーリーをでっちあげ、興味を惹かせていく。客との騙しあいに一切の心情はなく、お客そのものも一つの記号としてしか認識されていない。だから同情に訴えかけたとしても、彼の興味に値しないものに関しては、一切の容赦なく切り捨てられる。

 彼のフェチズムの代償として「下水の臭い」がどんどん彼の心情を侵略していく。当然その臭いは酷いものであるが、彼が女の人をモノのように扱い、変態的行為をした後は、戒めのように下水の臭いを嗅ぐのだ。彼自身で自分の行いは間違ってることを行動により示している。ただそれでも憑かれたロウレンソは代償を払ってでも、自分の願望に逆らえないのだ。地獄につながる下水を覗き、その臭いを嗅ぐ。当然それで許される訳はないが、何かを手に入れるには、その分犠牲を払わないといけないことを誰よりもわかっている。

 客が持ってきた”目玉”の形をした置物・・この目玉が良い証人として存在感をあらわにする。その目玉は”親父の目玉”だと客に話し、常に自分の目とは別の目として、女達のお尻や裸を一緒に観ている。またそこから父親の残像を客から買った物で作り上げようとしていく。父親もまたモノの一部でしかないのか。血縁もありながらも、彼にとってすべてはお金で買うことのできる、モノでしかないのだろう。この世にお金で買えないものはない。そんな人生を送ってきたのだろう。

 イメージの羅列や切り替え、そこに乗る様々な音楽、スタイリッシュであり、変態であり、それでいてもっと奥深い人間と人間のまじりあいについて問う。しかしその魅せ方は感じたことのない余韻を残し、観客自身が目玉になりロレンソの人生を見届けた気分になる。なんとも悲しくいたたまれない人生だろう。しかしそこまで何かに執着できるのは、幸せな事なのかもしれない。
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