レインウォッチャー

ブローニュの森の貴婦人たちのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.5
マリア・カザレス、映画の陰影が密かに生命を宿したような女。
美しさにも色々な区別があるけれど、彼女のそれは常に静けさと共にあり、滅びゆく時を予感させる。陶器の仮面のような表情の下では、情念が99.9度のまま震えているのだ。

彼女が演じるエレーヌは、自尊心の高い上流階級の人物。自分からあっさりと離れた恋人・ジャンに復讐するため、「商売女」と呼ばれるダンサーのアニエスと引き合わせようと画策する。

これは愛についての物語である以上に、プライドに関する物語。
エレーヌの行動理由も、彼女が期待するジャンの精神的 / 社会的破滅もプライドによるものだ。しかし彼女らは、間に挟まれるアニエスという一人の人間が持つプライドには気づかず、ないも同然に扱っている。ここを分厚い壁である「階級」という要素が強調して、追い込まれるアニエスにフォーカスしている。

エレーヌは、財力を駆使して貧しいアニエスと彼女の母を囲うところから始める。彼女らの恩人となることで、行動をコントロールしようとする。
ここには明らかなヨーロッパ的資本主義社会の縮図がある。庶民=労働者はいくら働こうとも「金が金を生む」状況に固定された資本家たち=雇用者の支配からは実質的に逃れられないのだけれど、自分達が「自由市民である」ことを信じている。

アニエスが口にする「何をしようとしても壁に阻まれる…」という言葉はまさにこの見えない限界を表していて、今の世でも「ガラスの天井」と呼ばれるものと同義だ。ここに、公開から80年近く経ってもなお今作が復刻・鑑賞されるに値するポイントがあるだろう。

アニエスはエレーヌや母親への義理に報いるためジャンをはじめ撥ね付けるし、別の仕事を見つけ自立しようともしている。一口にプライドといっても様々な側面があるが、登場する人物の中で、彼女こそが真に「高潔」と呼ぶに足る誇りを身につけた人物であることがわかる。

一見メロドラマ的なストーリー運びで、結びは婚姻優位の価値観を打破するほどのものにはなっていないけれど、ブレッソンの涼やかな視線が鋭い。エレーヌとアニエス、二人の真逆とも言えるベクトルの美しさが生み出す鮮烈なコントラストと、コクトーの指先が切れるような台詞が映画に格調を与えている。

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ジャン・コクトー映画祭にて
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