Kuuta

かぐや姫の物語のKuutaのネタバレレビュー・内容・結末

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

生きる喜びと悲しみ、そして平等に訪れる死を描いたシビアで美しい傑作。

アニメーションは無機物に命を吹き込む行為。虚無的な世界にも生きる価値があると訴える今作の主題を表現するには、実写ではなくアニメ(人の手による作り物)という手法以外あり得ない。アニメが放つ気持ち良さ=欺瞞に満ちた人生で、それでも感じられる生の喜び。手書きで8年掛けて画面の全てを描き込む事で「1人の少女の人生を物語る」。苦労を重ねた作品の在り方そのものが、生きる苦しさと美しさを象徴している。

色と穢れに満ちた不完全な現世。命には限りがある。それなのに庭や織物を作って一時の満足を得る、そんな人の生に何の意味があるのか。いっそのこと無機質で完璧な極楽浄土に行けたら…なんて虚無に陥りそうになる。今作のラストは、どんな心境でも死が淡々と(あの華やかで絶望的な音楽…)人生を奪っていく現実を見せつける。

3幕構成になっていると思った。第1部は月から地上に降りた姫が生を実感するパート。細かく描きこんだ表情や、柔らかな質感。姫が成長する繊細な描写の数々に、無機物(現世の虚しさ)が逆説的に発する愛おしさが溢れている。この話は冒頭の野山が美しく魅力的に見えないと成立しないだけに、気合の入り方が違う。

(この場面ですら瓜の窃盗や、翁とお婆ちゃんの諍いが描かれる。つまり、こうした汚さも含めて全てが現世なんだという事だろう)。

宴会の夜、成長した姫は自分を求めてくる男を嫌がり、色の付いた衣を脱ぎ捨てて屋敷から走り去る。抽象的な白黒の林と月に囲まれる。夜の雪原で姫が倒れると、彼女の周囲を天女が舞う。月と白黒の世界=あの世であると示す。

満開の桜の下での姫の喜びが赤ん坊の声と重なる。諸行無常な生の謳歌。成長した姫は、カエルを捕まえた赤ん坊の頃と同じ動きで、バッタを捕まえる。山の自然や四季から見える、命の繰り返し。生き物が別の生き物に食べられる描写が何度も出てくる。

第2部。都に出た姫は慣習に則って眉毛を抜き、歯を黒くする。高貴な姫君は人ではない=女として作られていく。初潮や寝間、夜伽といった性のイメージがじわじわと重ねられていく。翁の姫を思う気持ちが、かえって姫を縛り付け、苦しめる。

フェミニズム的な視点から、女性を物扱いする男の醜さや滑稽さの風刺が続くが、中納言が亡くなる場面で流れが一気に変わる。姫の理知的な逆襲が、かえって周囲の不幸を招いていると、姫自身が痛感してしまうのだ。フェミニズムもまた不完全な人の営みの一部であり、それに泣かされる男もいる、と言い換えても良い。姫が特別な存在に見えてくる中で念押しのように放り込まれる相対化、一種の人間宣言と言える。

「全部偽物!」。生きる事が馬鹿馬鹿しくなって、自分で作り込んだ庭を、自分のちっぽけな生を否定する。このシーンの勢いが素晴らしい。

そんな状況で追い討ちのように帝に迫られ、「もうここにはいたくない」と思ってしまう。死を受け入れてしまう。

第3部。死を知ってからの生をどう描くか。もっとこう生きたかった、という素朴な後悔や不安の中で、クライマックスに訪れる捨丸兄ちゃんとの再会。死ぬと分かっていても、今を精一杯生きればいいじゃないかと兄ちゃんが姫に呼び掛ける場面で号泣。「背負って走るよ」「私も走る」。現世のしがらみを超えた飛行シーン。夢から眼を覚ますのは姫ではなく捨丸だ。彼も姫と同様、ここではないどこかに憧れているが、目の前の子供(=現実)を抱きしめる。

ラスト。「この世は穢れてなんかいないわ。みんな彩りに満ちて、人の情けを…」。死はセリフを最後まで言わせないまま、呆気なく姫の感情を、色を奪っていく。天女は庭や織物(姫が現世を生きた証)をかすめて飛び去る。姫は青い地球を振り返り、完全に白黒な世界へと消えていく。彼女はこれから、理由も分からないままに涙を流し続ける運命にある(最後の赤ん坊は個人的には要らない気がした。深読みするとあれは捨丸との子供で、あの子も涙する母親を見て地球に憧れるという円環構造?)。

原典に欠けているかぐや姫の感情を見事に描き出している。「竹取」の話ではなく「姫」の話。タイトルは、そのものズバリだったんだなと鑑賞後に思った。93点。
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