YasujiOshiba

ある海辺の詩人 小さなヴェニスでのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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ヴェネツィア祭り(10)

青く広がるヴェネツィアのラグーナ(潟)に、浮かぶように杭打ちされた小さな漁師小屋と、その背景の天空高くにそびえる東アルプス山脈。なんというイメージ。そしてこのイメージが、伝説の詩人、屈原を忍ぶ精霊流しと重ねられてゆく。

原題の「 Io sono Li」は「わたしはリーです」の意だが、「わたしはそこにいます Io sono lì 」という意味にもとれる。「わたしがいるのはここ Io sono qui」なのだけど、本来いるべき「ここ」ではない「そこ」にいるということだろうか。

なるほど、中国から来たリーにとっても、今はなくなったユーゴから来たベーピにとっても、キョッジャという街は「ここ」にあるべき故郷からすれば、遠いどこかの「そこ」なのだけれど、そんな「そこ」であるキョッジャに、今、このふたりの「わたし」がいるということなのか。

キョッジャは、監督のアンドレア・セグレの母親の故郷であり、いつも夏を過ごした場所だという。そして、映画にも登場した「オステリア・パラディーソ」は、実在するオステリアであり、実際に中国人が経営し、本物のシュン・リーとセグレ監督が知り合った場所。その場所が、初のフィクションであるこの作品の舞台となっている。

さらに、イタリア語を知らない中国とクロアチアの俳優。キョッジャの言葉や漁師の立ち振る舞いをしらないプロの俳優たちは、現地の人々の教えをこい、現地の人々のほうはカメラの前で演技する術を俳優たちから学ぶ。そんなプロジェクトとしてのフィクションのなかに、キョッジャの街のゲニウス・ロキが見事に立ち上がってくる。
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