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スプリング・ブレイカーズのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

スプリング・ブレイカーズ(2012年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

 スプリング・ブレイカーズは永遠に…虚しさもずっと本編中に漂い永遠を感じる…。アメリカン・パーティー・ピープルのイケイケぶりなんて見るに耐えないんだけど、じゃあ今作が完全パリピ向けに作られてるかというとそうとも感じない気もする。パリピじゃない人向けに見せにきていると思う。映画の形式的にはずっと足がつかないような薄さが全編に一貫していて、その虚無は本人たち目線ではないと思われる。にしても、ハーモニー・コリン作初鑑賞がこれでよかったのかという疑問は残る笑。

 「代わり映えしなくてウンザリ」を繰り返す。しょっぱなからパリピとビーチの映像。胸丸出し酒浴び酒池肉林。いやいや、もう最初から手に入れてるやん。どこまでも飽くなき欲望は空恐ろしい。どこまでも代わり映えを求めて、終始おんなじことを繰り返す。この映画、読後感は見ても見なくてもほぼ一緒という稀な映画だった。不意にM.I.A.の楽曲「paper plane」の一節が思い浮かぶ。「All I wanna do is (bang, bang, bang, bang) And take your money」、それを地で行く映画だった(M.I.A.のギャングな出自からも彼らの人生のリアルな歌詞であり、今作のテーマともかなり密接に結びつく)。撃って金を得るという資本主義の中で循環する金を追うだけの人生、ここまでくると諸行無常。パリピとは、上流階級とか富裕の一部というより、人生ゲームでギャンブルエリアぐるぐるしてる人たちのことをいうのだと理解した。

 映像の時間軸は、前後のシーンが回想または予兆として挿入され、なんとなく溶け込んでいる。これは圧倒的にドラマを殺す意図がある。例えば先のシーンが挿入され、大方人が撃たれるとかが分かれば、今見てるシーンの後に人が撃たれるんだなぁとぼんやり思うわけで、それはサスペンスとかではなく、ただの諸行無常(2回目)である。展開の読めなさは生まれない。主軸もなくカット単価も平均してだいたい3秒ペースで、その”今”という時間軸は今作では希薄も希薄だ。パリピ特有の足の浮いた感覚でもあろう。その裏の虚しさでもあるだろう。過去現在未来が均質化することで"今"という地点は喪失した。監督の冷徹な演出は、まるでスコセッシの描くギャング映画へのアンチテーゼのようでもある(今作だって盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げられそうなものである)。

 またおんなじような状況が映されて飽き飽きするのだが、そこに両親との電話の音声が被ることで、意味合いが変わってくる。最初はただのアッパーな映像なものも、「楽しくやってるよ」という母や祖母へのメッセージが付せられることで、その映像は虚しさへと変化する。こうした反復される映像も、パリピ的意味合いが剥奪され2回目流される時は脱色されたと言ってもいいぐらいに薄い映像へと変化する。時間と意味を薄めていく先には、結局何もないのだが。立ち返って最初から何もなかったという事実にぶち当たり、”見ても見なくても一緒”な読後感を生むのだ。強いて言えば、「こんなはずじゃなかった」という後悔が残るのかもしれない…(映画の鑑賞後のこの気持ちと登場人物の気持ちはここで初めてリンクする)。
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