原題『Dans la maison』
スペインの舞台劇を原作に、監督が脚本を書いたもので、確かにシチュエーションの描き方が舞台のそれに近い。
邦題『危険なプロット』の名の通り、サスペンス風味が強いんですが、ある意味ブラックコメディでもあるなと思います。
ラビリンスを冠する画廊とか、小さな部分や台詞にも暗喩的な表現が散らされていて見応えがありました。
ストーリーはDans la maison『家の中』での出来事に焦点を当てたもの。それが文才のあるクロードという学生の書く作文と、その才能に目を付けた国語教師というキャラクターによって、肉感のある官能的な物語へと昇華されていく。
平凡な中産階級の家庭の話が、“続く”という言葉で場面を小分けにして描かれる事で、どんどんと物語の引力が増していきます。
先入観や想像力、好奇心。それを刺激して、ミステリーに仕上げられていく行程…
悔しいけど、まんまと掻き立てられてしまうんですよね。そのやり方には監督の個性を感じました。
例えば…私の恋人がクロードみたいな友人から『君の彼女が男と歩いていた』って話を聞かされたとして…どんな修飾をするかで、言葉の意味はガラリと変わる。
それが職場の同僚で、私には何の後ろめたさが無かったとしても…波紋を起こす言葉が付け加えられてしまえば、疑心暗鬼が起こる。
そして、それは主観でしか語られない。
見た側の解釈で不定形になる現実。
それは聞く側、読む側の受け取り方で虚構も現実になるってこと。
『ゆれる』然り、『ジャンヌダルク』然り…
人の心は簡単に揺らぐ。
その主観と客観、程よい虚構と描かれない空白…それが先入観や想像力を刺激し、掻き立てます。
ファブリス演じる先生は、その方法をクロードに教える。クロードはその要求を叶えながら作文を書き続ける。そしてプロットは危険を孕み始め…
本当にこれは虚構?
あの家の中で本当に起きているんじゃ?
虚実皮膜が生まれる。
虚構が緩やかなペースで孵化を迎え、現実に姿を変えていく行程。
『次は何が起こるんだろう…』
自ら底無し沼に足を踏み入れてしまう。
鍵穴から覗く…なんて台詞もありました。
言い得て妙。禁断が甘美にもなるのは、逃れられない人の業なんでしょうね。
窓の数だけの物語。
ラストシーンの余韻が何とも…
エルンスト・ウンハウアー。
この妖しい病的な魅力は稀有ですね。
他の作品にも出ないかな(。-_-。)
派手さは無いけど秀逸な作品。
残念ながらスッキリはしないです(^_^;)