しゃび

チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密のしゃびのレビュー・感想・評価

4.5
物語には始まりと終わりがある。
でも物語の中を生きている人にとって、その始まりと終わりは人生の一部のページをただ切り取ったに過ぎない。

『Starlet』は物語の始まりと終わり、その外側の存在を強烈に感じさせてくれる作品だ(邦題が許容範囲を超えて酷いため、原題でお届けいたします)。

全く違う人生を歩んできた人達が、何かのきっかけで出会い、心を通わせたり通わせなかったりする。ただ、見つめるという役割を担っているに過ぎないカメラが、その光景を私達に見せてくれる。私達はいつのまにか他人の人生の1ページに肩入れし、あれこれと想像を働かせる。

だから、この監督の映画は後に引く。
人が、家が、物が切り取られた100分あまりの時間を超えてせり出してくる。
「見つめる」映画を撮る監督は少なくないが、ジョン・ベイカーという男の作品は、その中でも異質な感触を持っているように感じる。見つめてはいるが、見つめていること自体が殊更に強調されている訳ではない。神の視点と言ったような達観したそぶりも見せない。そして何よりタッチが非常に軽い。ただ、空間とそこに息づいている人々への愛情が、画面へ少しずつ漏れ出ているだけである。


また、この映画は空間の対比が非常に印象的だ。
85歳のメリッサが住む家のなんとも言えない生活感。そこに住むメリッサ自身も、その肌には年輪が深く刻まれており、映画の中で演じているとは思えない程、空間に溶け込んでいる。遠い昔の新聞でさえ捨てるのを拒むほどの大切な記憶が、ここには刻まれているのだろう。どういう経緯で選ばれた家なのか分からないが、この老人は本当にここに住んでいるのではないかという気さえしてくる。

一方、ポルノの撮影現場はこれとは対照的だ。セットに埃が付いていることさえ禁じられたこの空間において、生活感は意図的に排除されている。そこで撮影されるポルノ女優も普段の自然なメイクやセットではなく、あくまで撮影用に飾った1回きりの装飾がなされる。

主人公が間借りする住居はその狭間で、非常に不完全な立ち位置を演じている。エピソードを語ることは避けるが、この住居の意味合いを考えながら見るだけで、この映画は非常に面白い。

2作品しか観ていないので、あまり知ったかぶる事は控えなければならない。だが、彼の作品はどこか映画の新しい地点を提示しているように見える。

とりあえず能書きはこれくらいにして、残りの1本を観てみることにしよう。邦題の罪深さに関して、一言言いたいところではあるが、そこは愛情を持って看過することにする。
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