オルキリア元ちきーた

湿地のオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

湿地(2006年製作の映画)
3.7
科学の発展が更なる悲劇を生み出す話に思えた。
遺伝による病気という「因子が明確になってしまったが為に『死ぬ運命』を背負わされ生まれる子供』が生まれてしまう現実」を、サスペンスとして創作した小説が元になった作品。

遺伝子研究所に勤める男の娘が、その遺伝子検査によって、自分も先だった娘も遺伝で起こる病を抱えていること。
自分と先立った妹も、実の父親とは血の繋がりが無い…つまりは、母親の不貞による子供であった、という真実を知った事で起こる悲劇。

しかし、それでは
遺伝的な病気を持つ人間は、種を存続する権利さえ無いのか?という問題も提示される。
遺伝的な因子とは、病気だけではなく
髪や肌の色、虫歯になりやすいか否か、ハゲるか否か、ストレス耐性や手足の形や顔立ちなどなどまで
その個人の人となり全てが、連綿と受け継がれた遺伝によるものでもある。

それを否定するということは、自分のパーソナリティまでも否定する事に繋がる。

殺人事件と過去のレイプ犯との繋がりが
自分の身に降りかかる事よりも
「うちの家系にはそんな血(遺伝子)は入っていない」という父親の差別的な台詞こそが
レイプ犯達をレイプ犯たらしめ
その被害者が口を噤む要因となり
その遺伝子を持つ人間を排斥する原因になり得る。

娘を遺伝子要因の病気で亡くし、その因子を持つ父親を冷たく突き放す妻
母親が数十年に渡って被害の報告を閉ざし続けたこと
刑事の娘が誰が父親かも分からない子供を宿す事に対する不安など

世の中が「清く正しく美しい世界だけで成り立っているのではない」という現実を突きつけられる様な作品。



余談だが
私の娘も遺伝的要因による障害を持つ人間でもある。
そしてそれは、私が父親から受け継いだものであるのは、検査すれば明らかになるであろう。
その障害が診断された時
義父は
本作の主人公の父親と同じ
「うちの家系にはそんな血は混ざっていない(だから嫁であるお前の責任だ)」という趣旨の言葉を吐いた。
しかし、それを言われたところで
じゃあ娘は「不適切な因子を持つ人間だから『無かった事』にしましょう」とすべきなのか?
私が人生を狂わされた、と思い込んで
自分の父親を、本作の主人公の様に葬り、自らの「血の繋がり」を断てば済む話なのだろうか?

社会的に迷惑をかける因子や
遺伝によって続いてしまう障害や病気を排除すれば
この世は平和で争いのない世界になるのだろうか?
しかし、そうでなければ、その「不安要素を抱える遺伝子を持つ者」を知った上で、それでも運命を受け入れ、長生きせず健康に問題を抱えた状況になるのを覚悟の上で、この世に産み育てようという人間が、果たしてどのくらい存在するのか?

命を価値を問う作品に思えた。