オルキリア元ちきーた

ギルバート・グレイプのオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

ギルバート・グレイプ(1993年製作の映画)
3.6
「家族の絆」という「呪い」を断ち切る物語。

病んだ母親、人生をドロップアウトしてしまった父親、人任せの妹達、責任放棄した兄、ハンデを抱えた弟 冴えない仕事
 まとわりつく欲望とその代償に怯える日々
そして何より、それを「一人で背負い込む」主人公ギルバートグレイプ

彼がクソ真面目過ぎる訳ではない。
何も分からない世間知らずという訳でも無い。
なぜ、ギルバートは「自分で選び取る人生」を選べないでいるのか?

本作の原題は
What’s Eating Gilbert Grape ?
「何がギルバートグレイプを蝕んでいるのか?」

それは映画ではサラッと流されている会話でのみ触れられているが、実はそこが一番大事な部分じゃないだろうか。

映画では登場しない「父親」への想い。

それこそが、ギルバートをこの地に引き留めている理由になっている。

しかし、それにも終わりがやってくる。

呪いからの解放のその後は描かれていない。

それは、彼がこれからどう生きていくのか?は
観ている私達が想像することに任せている、というか、そこから先は、ギルバートグレイプ本人のみぞ知る所として敢えて描かなかったのかしら?と思う。

呪いにがんじがらめにされていた物語の主人公が
歩き出す新しい世界は
観ている私達の現実の世界に繋がっているのかも知れない。

実は、私達のすぐ横にも、ギルバートグレイプの様な解放を待っている人がいるのだろうし
また、自分達にも、多少なりとも「解けない呪縛」が付き纏っているのだろう。

そして、どんな境遇の人達にも、生きていれば「まだ呪われていない朝」がやってくる。それが明日なのか、それとも数年後かは分からない。
もしかしたら、母親ボニーの様に、死ぬ寸前かも知れない。
それでもやっぱり生きていなければその日は来ない。

その日のために、今の自分は何が出来るのか?

本作は1993年の作品。
なんだか不思議な既視感があると思ったら
2020年の「ノマドランド」がそれだった。
キャンピングカーが出てるから、という理由ではなく
・囚われている家族の呪いからの解放
・主人公の迷いと邂逅
・解放されてからの「その後」は描かれない
というポイントが同じなのだが

本作は「逃げられない土地」での「自分探し」なのに対し
「ノマドランド」は全く逆の視点「失った居場所」からの「自分探し」であった。

しかしどちらも「自分とは何なのか?」を探しにいく…その先は主人公次第なのが同じで、対比してみると面白い。

人生は旅なのだね。



ディカプリオの演技は凄い。
どうしてアカデミー賞取れなかったのか不思議なくらい。結局この先「レヴェナント」まで無冠だという、アカデミー選考のボンクラさがよく分かるエピソード。