ルサチマ

TOCHKA(トーチカ)のルサチマのレビュー・感想・評価

TOCHKA(トーチカ)(2008年製作の映画)
5.0
3回目 2021年3月21日 @中之島映像劇場

何度見てもこの映画の衝撃を忘れることはなく、その衝撃は深く魂を突き動かしてくれる。

『YESMAN/ NOMAN/ MORE YESMAN』に心の底から打ちのめされた直後で鑑賞したお陰か、3度目にして『TOCHKA』がこれまでとは全く違って見えた。

根室の地に突き刺さっているトーチカの、壁そのもののような硬さを画面から過剰に引き受けすぎて、この映画に存在した「お茶」を海辺で藤田陽子から手渡された菅田俊が飲む行為における、まるで柔らかささえ感じられる空気の変容に気づくことが出来てなかった。

自分の身体以外に触れることのなかった菅田俊が、この「お茶」というよりもほとんど「お湯」のような飲み物を手に取ったからこそ、誰もが固唾を呑んで見つめるしかないあの菅田俊を映しとる脅威の長回しでハッとしてしまう。

トーチカの壁に菅田俊がタバコの火を消し去ると同時に、壁をそっと手で触れた瞬間、シーンで描かれる事件とは全く無縁の、画面上の柔らかさ。そして菅田俊を照らすトーチカの空間内部へ柔らかく差し込む青い光へ、意識が注がれ、この菅田俊の取る行動をどこかで肯定してあげなくてはならないのではないかと思えた。

ここまで残酷で、安易な感情移入を最も拒むまさに鉄壁の要塞みたいな映画なのに、画面上の柔らかさがついに、あの移動ショットへと繋がった瞬間、思わず涙が溢れでた。

それは決して、菅田俊の境遇を思い浮かべての涙なんかではなくて、ただこの映画の頑丈な硬さに紛れ込む確かな柔らかさの一端に気持ちを揺さぶられたことによるものだろう。
そして、今はその涙さえも肯定できる気がしている。


2回目 2021年3月20日 @中之島映像劇場

大阪での上映にはるばる駆けつけると、座席にはこの上映のために作成された資料が置かれていた。
ずっと読めずにいた『中央評論』掲載の「TOCHKA論」に加えて、この上映決定後に松村と親交の深い映画監督・板倉善之による松村浩行作品を横断した作家論、『よろこび』以来、松村組のスタッフであった柴野淳、居原田眞美による楽屋裏話(とてもプライベートなエピソードまで書き連ねられながらも、批評性の高いテクスト)、そして最後には松村浩行自身によるテクストが収録されていて、感動する。

松村浩行の映画がそもそも手軽に見る事を困難とするのと同じように、テクストの内容も気軽に触れることを拒む緊張感のある文章で綴られているが、これらの資料は今や自分にとってなくてはならない大切なテクストの一つとなった。

上映前にこのレトロスペクティブを開催するに至った経緯を簡単に主催者の田中氏から説明(『TOCHKA』が公開当時に与えた衝撃と、その余熱はまだ続いているとの言葉)があったのち、松村監督から一言上映がなされることへの感謝の言葉があり、作品について多くは必ず挨拶を終えると、あっけなく上映が開始された。

上映後は堀潤之と松村監督のトーク。
こちらも刺激的で、映画の劇場空間があらゆる方向へと開かれた印象を受けた。
素晴らしかった。

1回目

21世期の映画で間違いなく最高峰。ここまで無情な海を見たことない。
映画が音を獲得してからの歴史で、確実にある境地まで達している。トーチカによって反響させられまくる声と自然のノイズがただのコンクリートでできたトーチカを剥き出しの物質として質感を与える。完璧な暴力が視覚によるトーチカとそれによって波形を変えられた音で顕になる。
あるイメージ(映像)が他愛もない記憶の断片を圧倒的リアルな力で再生する。だが映画の音声は未来から過去について言及する一人称視点の語りを獲得し、映像に先立つことを可能とした。とはいえ言葉はイメージを束縛する力にも最も簡単に形を変えるが故にラストのトーチカでの悲劇が炎を纏ったイメージとして現出する。
徹底されたタイミングで起こる海辺でのショット/切り返しショットも凄いし、ここぞという瞬間にくるロングショットは今後忘れられないだろう。あの編集に少しでも近づきたい。
悲劇の記憶に直面した子供とその犬がトーチカから駆け出す瞬間の美しさと戦慄の共存したショットの奇跡。

現代日本にこんな映画撮れる監督がいることを素晴らしいと感じる。
ルサチマ

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