つかれぐま

インターステラーのつかれぐまのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
5.0
20/9/15@としまえん
22/11/5@TOHO日比谷
IMAXレーザー

【科学度40%の幸福】

科学度100%で始まりながら、きちんと人間ドラマに収束していく多幸感と後味の良さ。アナログとデジタルの二刀流撮影が生む唯一無二の映像美。

公開時に劇場鑑賞を逃したのだが、今回観れて本当に良かった。評価が家出の初見時とはまるで変った。最大の理由はやはりIMAXの素晴らしさだろう。腹に響く重低音、ワームホールの畏怖、ミラーの惑星での絶望、命懸けでドッキングを図る迫力、そして5次元空間という想像の域を超えたモノを見る感動。これらどれ一つが不十分でも本質が理解しづらい作品なので、つくづくこれはIMAXを前提にした作品なのだなと思った。

導入から高度な物理用語が飛び交い、見る側も(TARSに試算させれば)科学度100%の「置いていかれまい」という気合で映画に必死についていく。その潮目が変わるのが、ミラーの惑星から戻り、次に行く星を決める会話辺りからだ。このシーンでのアメリアの考え方の変容に共感するためには、彼女がミラーの惑星で遭遇した「絶望感」を共有しなければならない。普通のスクリーンでは伝わらない「こんな星では科学知識など何の役にも立たない」という絶望感を、IMAXは山脈のような津波という映像で観る者に体感させてくれる。作品の語り口はここからTARSの試算によれば「科学度50%+ファンタジー度50%」へと変容していく。

クライマックスの5次元。
TARSの試算によれば(しつこいね)ファンタジー度60%の父娘愛の話になり、序盤の地球でのシーンが無駄なく生かされてくる。

人類は「個」の保身に躍起になり、「種」の保存など考えないよ。マン博士と交わされたそんな議論が雲散霧消、人類が高次元に到達する素晴らしいシーンであり、かつそれが父娘をつなぐ極めてパーソナルな映像に落とし込まれる素晴らしさに涙。映画っていいなと思ったよ。

前述した科学度100→50%に潮目が変わる「特異点」が、少し唐突かもしれないので(IMAXじゃないと特に)、そこを見落とすと本作に乗れない可能性はある。実は私も初見時はそうだった。それでも本作のゴールを頭において、終盤は科学度を40%に下げて再見すれば、きっと幸福な鑑賞体験になるんじゃないかな。 

単体で観ても十分な傑作だが、キューブリックの古典「2001年宇宙の旅」をサブテキストとして読み解くと、更に深みというか作品の意味合いが重くなるんじゃないかな。といっても、決して「2001年」を否定しているわけではなく、映画的に呼応しているというか、和歌で言う「返歌」になっているようにも思えた。

神の視点で人類を俯瞰で見下ろした「2001年」に対して、本作は人類が宇宙と高次元を見上げる、実は人間臭い語り口。人類の進化を「神の手」によるものと見做した前者に対して、本作におけるそれは人類みずからによるものであり、その原動力は科学を越えた「愛」という呼応ぶり。「2001年」が大好きな私だが、決して嫌な気分にならない見事な「返歌」だ。

Rotten Tomatoなどの評価サイトを見ると、海外での本作の評価は意外にも高くない。だがこれも公開当時の「2001年」と同じだ。後年になってこの評価は上がるものと信じる。

以下メイキング本から引用;
「『インターステラー』は時空を飛び越え、人類の経験を飛躍させ、『ここからどこへ向かえばいいのか?』と問いかける映画だ。本作では、地球を離れ、銀河を超えて活動の場を広げることを、空想や思い付きではなく、人間が進化するうえで避けられない要素として描く。僕にしてみれば、それがつまり、映画全体で訴えていること━人間の進化における次のステップは何か?━なんだよ。そして、その次なるステップは、地球を離れるという選択肢に違いない。そうでないといけないんだ。探索すべき宇宙がそこに広がっているんだから」
━クリストファー・ノーラン