Nasagi

なみのおとのNasagiのレビュー・感想・評価

なみのおと(2011年製作の映画)
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東北記録映画3部作①
震災についての対話を織り上げてつくられた記録映画。震災の跡をそのまま撮るのではなくて、数か月の時を隔てて被災された方々に当時の経験を語ってもらっている。夫婦、姉妹、消防団仲間など親しい関係にある人たちに話し合ってもらったり、あるいは監督が聞き手になってインタビューをしたりして、お互いの顔を見ながら話す形式となっている。
しかし、実はこの「お互いの顔を見ながら話す」という部分にはフィクションが含まれていて、ふつうに撮ろうとしたら技術的にありえないショットが意図的になんども挿入される。

自分も先に第2部・3部を鑑賞したときに、どうやって件のショットを撮っているのかがわからなかったのだが、後から調べてみて、そんな大胆な撮り方をしていたのかとびっくりした。出演者の方々のふるまいは一見してごくごく自然なのだが、タネを知った上で本作をみるとまた違った見え方ができて興味深い。

お話の中身についてはここでは直接書かないけども、ユーモアが貴重な作品だと思う。
「ここで笑えるのはやはり実際に経験した人同士で、しかも親しい関係だからだろうな」という所がある。
そこは同じ対話でもインタビューのみで構成するのとはまた違うなと思った。というのは、やっぱりよそ者がインタビューするのだと、どうしても神妙にならざるを得ないだろうから。
ただ、笑いながらも声がわずかに震えていたりして、その笑顔には深い悲しみが含まれているのだろうとも想像する。

親しい関係、ということについてもう少し書くと、そういう仲いい人同士の会話ならではのことばの戯れとか、ことばの省略みたいなものが自分はすごく好きなんだなと鑑賞していて思った。たとえば身振り手振り交えて「ここの、これね!」で意味が通じる感じとか、話から急に脱線して即興でふざけたりとか。
比較対象として適切なのかわからないけど、自分はこれを観ていて小津安二郎の映画によく出てくる家族の掛け合いを思い出した。おそらく、本作で多用される正面から人物をとらえた切り返しショットが、小津映画を連想させるのだろう。

この切り返しショットに隠された「タネ」もそうなのだけど、人って同じものを見ているようで見えている景色には少しずつズレがあるという認識が、本作には通底している。
そういう理解の可能性と不可能性的なものをふまえて、他者の声を尊重する、そこに自分の声をむりやり被せてしまわない態度っていうのが、最後問いかけられていたと思う。
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