なみのおとの作品情報・感想・評価

なみのおと2011年製作の映画)

製作国:

上映時間:142分

3.9

「なみのおと」に投稿された感想・評価

梅田

梅田の感想・評価

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震災の被災者たちの対話を撮ったドキュメンタリー。監督である酒井耕や濱口竜介と被災者、という座組みもあるけど、大部分は被災者同士の対話で占められていて、しかも夫婦や友達といったもともと近い関係にある人たちに「改めて、あの日を振り返ってもらう」というもの。つまり、日常的に会話をする関係にある人たちに、あの「非日常」の景色を、文字通り真正面から話してもらう、という内容になっている。

ワン・ビンのような長回しではなく、まるで小津映画のような正面からのショットと切り返し。ドキュメンタリーの手法としては珍しいけど、その物珍しさが新鮮だった。先に観た「うたうひと」も同じ手法だったけど、この「なみのおと」の方が主題と形式の相性がいいと思った。
あえて言うけど、別に喋りがうまい人が登場するわけでもない(石巻市議会議員は、酒井の問いにまともに答えられておらず、会話が成立していない。)。でも、そういった市井の人の非日常の語りが、フィクショナルなカメラアングルとあいまって、かなりユニークな浮遊感を作り出していた。
いくつものインタビューを構成したドキュメンタリー。
東日本大震災を生き残った人々のナマの声が語りだす「あの日」のリアリティ。

カメラの前で、役者ではない人々のなかにあるものを、どう自然に引き出すかという、濱口竜介の実験でもある。
りっく

りっくの感想・評価

4.4
インタビュー形式によるドキュメンタリーであるが、カメラを通じて撮る側と撮られる側が一方通行ではなく、対話式によって相互の関係性や当時の記憶、故郷の想いなどが「物語」として浮かび上がってくるので全く飽きない。

特に、共に津波で流されたものの、いかだのように床の上に乗り九死に一緒を経た夫婦の話が面白い。ネガティブな夫とポジティブな妻の「3.11」との向き合い方、避難所に看護婦として手伝いに行く妻と、そんな避難所に妻を迎えに行く夫の心情。当時同じ境遇にいながら、向き合い方やとらえ方が異なる二人の言葉から、「夫婦」の在り方までもが浮き彫りになる。

また他の家族や友人を助けるために逃げ遅れてしまい死んでしまうより、皆避難できていると思い込み散り散りに個々で逃げることを推奨する人、自治体の長としてこの土地をどのように復興させるかその希望はどこにあるのか切々と答える男性など、彼らの価値観によって土地に根付いた生活をしてきた歴史が垣間見える。故郷を持ちながらも、「現在住んでいる東京という土地への愛着」が一切ない私のような人間に深く突き刺さる見事なドキュメンタリー。
対話に対するアプローチの取り方が完全にエロール・モリス
人は主観でしかモノを語れないという現実を真正面から捉える。正しいし素晴らしいと思うよね

学校のDVDが故障してたため半分しか見れなかったのは、監督から僕に対して劇場で見ろやとのお告げなのかと思え
震災当時はまだ小学5年。今となっては授業の様子なんて全然覚えていないのだが、あの6時間目の算数の授業はずっと覚えているのだろう。とは言っても被害と言ったら家のテレビが落ちそうになったことくらいなもんだし、親を校庭で待っていた時なんか、さっきまで揺れていた大地の上で逆立ちをしていたくらいだった。

それでも
机の下で意外な子が泣いていたこと。
けど誰も馬鹿にしなかったこと。
子を迎えに来た親たちの車が道路に不自然と並んでいたこと。
普段は真顔の体育会系の怖い先生が道路でおっさんに頭を下げていたこと。

そんなつまらないことはよく覚えているし、「非日常」の原初的な体験の1つとして僕の記憶に保管されているのは多分確かだと思う。しかし、忘れがたい体験だった一方で、僕の中で震災はテレビの向こうにある圧倒的に他者であって、その他者を家族として招き入れるかのように非日常を日常として受け入れねばならない過酷さを背負った人々が地続きの約200キロ向こうにいるだなんて考える余地はなかった。幸せなことだ。

それから8年。統計は勿論ないが、明らかに今年は震災が格段に風化してしまったように思う。それは僕個人的の問題でもあるし、いまだに一世一元制を採用して騒いでいる国規模の問題でもある。ただ、それに対して危機感があったから。勿論、濱口竜介というネームに引きつけられたのが圧倒的理由だろうが、、だから本作を観た。

やはりテレビとは明らかに彼らの声が違う。
監督によるインタビュー形式をとった部分こそメディア的な陳腐さはあったが、濱口竜介イズムを感じさせる被災者同士の対面形式パートは静かに常軌を逸していた。特に3人の消防団のパートはカット割りの灰汁が強いが、その分、後のパートが違和感なく消化できる。お互い既知の関係にあるもの同士が形式的な自己紹介をするという奇妙な嚆矢によって気恥ずかしさが抜けるのだろうか?これについてはやってみないと分からないが、それによってインタビューアー、もしくはインタビューイーが個人としての枠を超えた「一人」にとして存在し得る機運を高めているように感じる。

多分普通にやってみてもあんな親しくカメラの前で喋れないと思う。我々は日々日常から「役者」であるが、それを自覚して生きてはいない。最初の自己紹介というのはそれを自覚させる一種の儀式的なものであり、が故に無垢として自身を演出する役者「一人」として矜持を持って自らを晒すことができる。というのは僕の仮説だ。

どこに向かうのか分からない会話が有する緊張感はそのままに、カット割で会話のリズムを演出する映画的な面白さがある。上手くは言えないが、これは一番最初の紙芝居的な奇妙な説得力があるし、恐らくそれで最初に紙芝居なのだと思う。本人が自らの人生の一片を物語へと昇華して語るということ。そういう意味では、日本における男女の通俗的な関係を感じさせる潜水士の夫婦の話が個人的には一番印象的でよく分からない涙が出た。最後の姉妹の話に出てきた海に寄せる故郷の話も埼玉県民の僕には羨ましくもあり、同時に不思議と分かるような気がした。

現地に行くのが一番何だろうけど、メディアのは発達した現代において、表現の探求を通して他者じゃない震災の記憶を残すことはそれと同じくらい大切なことだと思う。そう思った6時間だった。
cyph

cyphの感想・評価

4.5

このレビューはネタバレを含みます

震災から半年後に撮られた、様々な形で3.11を経験した宮城・福島の人々へのインタビュー集 対話することへの可能性が開けたと監督が繰り返し語るこの3部作を一度は見てみたくてこのためだけに飛行機に乗ったのが去年の秋 すっかり忘れてたから観た当時のメモ書きをそのまま写します 一度に何本も観て思い出しで書いたメモだから色々違うかも


1 宮古:紙芝居 おばあさんとその妹
黒い波が連なって つなみてんでんこ 災害を乗り越える知恵 人間の知恵 つらさがある おふくろをおいて逃げたとか

2 気仙沼:消防団員3人

3 南三陸:本好きで友人を亡くした女性
お友達の佐藤さん 本が大好きで歴史小説が好きで わたくし いたしました いさぎよい判断をする人だったから 旅行にもいこうねって話をしていて ずっと長生きしたいって 死んだ後のことも話したんです 遺骨は山村にまくとかがいい 宗教にこだわらず、自然に還りたいねって話をしたんです

4 石巻:市議会委員
命をつなぐ選択をした 地震と津波どっちがくるだろうかと てんでんこ 絆を一度断ち切っててんでんに逃げて、初めて家族の絆を再生できる
展望や希望を持つこと、そのために国のてこ入れで場所をつくっていってほしい 経済をやっていくための基盤があればきっと
被災の記憶はみたもの聞いたもので考えは左右される そのギャップを埋めることはむずかしい 違う記憶を持っているお互いにということを受け入れることから始まると思う
(奥さんについて)押し付けることや無理やり自分の意見を通すことはできない それでファミリーあるいは組織として成り立つかといったらならない
ふるさとは遠くから想うものというイメージがある それは同じですよ ないんですもん 失われた、離れてしまったふるさとを わたしは離れずして想う 同じやないですか?好きな景色 海、風、散歩 そうしたものを愛している

5 東松島:若い姉妹
やっぱりこの街がすき 海沿いを散歩するときとか

6 新知町:潜水夫婦
被災してからの記憶はあいまい、夢見たい わたしは逆に被災する前のほうが記憶が飛んで 夢みたいに思える 現実って感覚ない「これが津波なのか?事務所なのか?」ってずっと言ってた
浮いてほしい 死んでも浮いてほしい そうでないと1,2ヶ月は見つからないから だから救命ジャケットつけさせてうえからもぎゅうぎゅう巻いてこれで安心だって想った 瓦礫の上を転がる
それがあなたのリハビリなのかもね まるはだか かっこよくいうと カメラ 証明できないのも同じ 生きてるってことだから

このレビューはネタバレを含みます

ほぼ当事者の会話のみによって構成されていた。監督自身のナレーションが入るのだけど、あまりにも“オタクっぽい”口調で笑ってしまった
撮影の方法によるところだが、人物の目線が揺らぐ様子が目立つ。東北三部作の他作を観た友人から「聞く側なめのショットで、その肩にピントが合っていた」と聞いたが、本作でも3人の男性が会話するシーンで1人だけ奥の台に焦点が合っていたり…気になる
濱口竜介監督、そして濱口監督の映画に出会えて本当に良かった。
言い古されている、対面する話者を捉えるショットの物理的矛盾。
切り返しをしているはずなのにスクリーンには一切カメラの映り込みがない。
その「演出」は単に技法云々に留まらず、ドキュメンタリーとフィクションの垣根への問いかけへ。インタビュアーに応える話者たちが、自ずと自身を「演出」し、演者として存在感を膨らませていく過程に圧倒される。
カメラに動きは少ないけれど、誠に映画らしい、映画ならではの表現かと。
TsutomuZ

TsutomuZの感想・評価

3.8
会話を観ることの緊張感と面白さ。ジャズのフリーセッションや演劇のエチュードのような。

または顔、表情の変化を観る映画という芸術。
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