『親密さ』の劇中で行われた対話セッションがそのままドキュメンタリーにスライドしたような作品だった。タイミング的にも『親密さ』が震災直前の日本を描いていたことの続きのようになっていた。
カメラをどこに…
映像の中に蓄積された対話。
レンズを向けるに至るまでの過程、構図、カメラの配置、様々な実践が重ねられていた。監督対のインタビューではなく、姉妹や夫婦、友人が向き合うことで、語るというよりは話すという…
興味深い試み。一種のドキュメンタリーだとは思うしノンフィクションではあるけど撮影されてることもあって当たり前だけどちょっと自然な感じではないし、みんな標準語を話そうとしてるし、出てくる人が多かれ少な…
>>続きを読む同じ地域で震災に遭っても、それぞれの体験はまったく違う。お互いの気持ちや体験を、そのまま分かち合うことはできない。映像に出てきて語る人々が共通して話していたことのように思う。
最後の姉妹が言っていた…
2026.6.17. 下北駅前シネマ
誰かの会話を聞くというシンプルな作りなのだが、飽きることなく見続ける。いや、そんな消極的な言い方をするべきではない。非常な一瞬の積み重ね、かけがえのない何かが…
当事者がカメラに面と向かって話す。ことで観る側がそこにいるかのような錯覚に陥る。一緒に笑って一緒に涙しそうになる。突飛な撮り方をしているようで、実は観る側の感情に最も近づく方法な気がする。
カメラに…
なにか、この人は本当のことを言っている。そういう空間が生み出されていて目が離せなかった。
「語る」という行為は聞き手がいてこそ成り立つ。という文字に起こせばあまりに陳腐な現象を、あまりに見事に映像…
、この言いかたが適切であるかまったく自信がないけれど、この映画のことを、ずっと、わからない、と言えるじぶんでありたいとおもう 他人のいたみ、他人の喪失、他人が他人であること を わかる、なんて言えな…
>>続きを読む©silent voice