主人公、最初の方から客観的にもバリバリ幸せなライフを満喫しているように見えてつらい。
そんな主人公がものすごく都合のいいタイムトラベル能力を駆使し、最終的には「幸せってなんだろう? あ、こんなにも有りふれた毎日にあるものなんだな。俺って幸せだなマジで」みたいになる。
……なんだこれは。お前最初っからずっと幸せそうだったじゃないか。それなのにどうしてより多くの「幸せ」を感じようとしているんだ? その幸せはきっと俺が享受した方がバランス的にもよくないか?
そう考えたくなるくらい、とにかく幸せでいい話で最高なのだが、そのハッピーはなんだか「幸せな連中を見ている俺」をどんどん惨めにしていくような気がしてならない。
そうか、この映画は別に弱者を主人公にしているわけじゃないのか。気づくまでに随分と時間がかかってしまった。
「タイムトラベル能力を使ってメッチャ可愛い彼女ゲットしてやるぜ!」と意気込む、という主人公の設定からして万年童貞コミュ障モヤシ体型の社会的なゴミクズ野郎だと思っていたら違った。弁護士の卵だし劇中の仕事ぶりを見ても、将来有望株なのは明らかだった。
じゃあこれ何のための映画なんだよ!
と思ったところで気づいたのは、多分「父親の映画」なんだろうな、ということ。
主人公の持つタイムトラベル能力は本当に都合が良い設定だけど、踏み越えてはいけない一線が存在する。その正体や、主人公と父親とのやり取りを思い出すと、この映画は「父になること。誰かを見守る立場になること」をテーマにしているような点も見受けられる。
……なーんだ、今の俺には無縁な映画だった!無害だ無害!
登場人物――特に女性陣の可愛さはハンパじゃない。ヒロインを筆頭に妹や母親も魅力的だ。「こんな可愛いコが現実にいるわけないだろ!」と発狂したくなるほど可愛い。
しかし特にヒロインはすごい。タイムトラベル能力なんかよりも断然都合が良い。可愛すぎる。可愛すぎて羨ましいし、どう考えても「ぼくの考えた最高にカワイイ彼女」のイメージそのもの。
なんなんだ! そんなヒロインと主人公のイチャイチャを見せてこの映画は一体何をしたいんだ! 畜生!
でも映画そのものはすこぶるいい話。どんなに憎もうと思っても、そうできないほど「幸せ」の普遍性を描いている。
自己啓発本にあるような「幸せになる○○の方法」みたいなそういうことを謳っているわけではない。
ただ、「自分が今生きている人生を、どうにかして見つめ直してみませんか?」そう言っているのだ。