饂飩粉

ラブライブ!The School Idol Movieの饂飩粉のレビュー・感想・評価

4.0
 ラブライブ!が他のアイドルもののアニメと大きく違う点は、やはりスクールアイドルという設定そのものにある。
 μ'sのメンバーはアイドルでありながら高校生(この際学生という括りでもいい)だ。
 しかし、芸能人ではない。所属事務所もなければ、マネージャーもいない。
 今風に例えるとユーチューバーとかニコ生主みたいな存在とほとんど変わらない存在と言える。しかしそんなユーチューバーその他とも違うのは、彼女達の目的が「富と名声」ではない点だ。
 芸能人でもない、富と名声が目的でもない。
 μ'sは元々、自らの通う学校を盛り上げて廃校の危機を脱することにあった。
 それが叶い、次はスクールアイドルの祭典「ラブライブ!」での優勝を目指した。これは一見名声を得るためのようにも思えるが、思い出作りという側面の方が強い。

 映画は、そんな二つの目的を達成したTVアニメの直後から始まる。
 具体的にどんなことが起こるのかはさておき、今回μ'sがぶつかる問題は「周囲の期待」だ。
 自分達にその気がなかったとしても、それまでの積み重ねや映画本編での活躍が彼女達をちょっとした有名人に仕立て上げる。
 そこで初めて、μ'sのメンバーは自分達が無意識のうちに巻き起こしたムーヴメントの大きさを思い知ることになる。
 それは元々狙っていたことではないし、芸能人ですらない彼女達にはあまりにも大きすぎる。
 何より彼女達を迷わせたのは、TV版の終盤で彼女達自身が決めたことと「周囲の期待」とが相反するものだったことだ。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」とは某アメコミヒーロー映画の名言だが、つまりはそういうものに直面する。
 そこでμ'sが下す決断はなんとも勇ましく、惚れ惚れするものとなっている。TVアニメ開始時には劇場版など予定されていなかっただろうし、後付けだとしてもかなりよくやった方だ。
 相変わらず世界観は曖昧で、μ'sのグッズの収益はどこに向かっているのかサッパリわからない(そもそも許可をとっているのか?)し、クライマックスの展開はトンデモさ加減もさることながらどう考えても時間的余裕がない。
 しかしそんな世界観も、むしろラブライブ!の醍醐味と言えるだろう。元々TV版だって、それ単体ではご都合主義に走りすぎな展開が多かった。だがトントン拍子で物語が進められるのは、現実世界(つまり我々のいる世界)でラブライブ!というコンテンツが盛り上がったからこそだ。
 これはTV版の話になるが「なんで具体的な勝因もなく勝っちゃうわけ?」という疑問に対する答えは「現実世界でラブライバーと呼ばれるオタク達がμ'sを支持しているから」に他ならない。
 実際にアニメのキャラクターを演じる声優がSSAでライブも行っているのだから、ラブライブ!におけるアニメの世界と現実の世界との境界はかなり曖昧だ。これは間違いなく意図的なものだろう。このおかげで強引な物語展開に説得力が生まれ、大胆な編集ができる=キャラクターのドラマにより多くの時間を割くことができるようになっているのがラブライブ!の面白いところだと思う。
 それは勿論今回の劇場版も同じことで、ライブシーンは唐突に始まる。
 TVアニメ一期最終話を除けばMC的なことなどほとんどしていない(自己紹介や挨拶くらいはしてるけど)し、歌い終わった後の余韻もほとんど残さずにシーンが切り替わるのも、前述した大胆な編集によるものだ。ライブパートが終わった次のシーンで、その結果どんなことが起こったのかを伝えるお得意の手法である。
 そのおかげで、本作もキャラクターのドラマをじっくり描くことができている。
 とはいえμ's9人全員分はどう考えても無理なので、センターである穂乃果のドラマが主なのだが、この辺についても具体的に語るわけにはいかない。
 このドラマパートが上手いなと思うのは、穂乃果の葛藤が、μ's全員がぶつかる問題と直結しているところにある。今回の穂乃果のドラマは、μ's全員のドラマになっているのだ。
 これはTV版から時間をかけて培ってきた「メンバーの思いは一つ」という前提あってこそできることだ。
 だから9人がちょっとした口論をするシーンは、逆に一人の人間の脳内会議のようにも見えたりするのだが、キャラ萌え描写がしっかりしているので問題ない。

 そうしてドラマで積み上げてきた感情を最後のライブパートで一気に解放する。このライブパートが小ネタの宝庫すぎてどう考えても複数回の鑑賞を前提にしている感が凄まじいのだけど、まあオタクはそういうのが好きだからこれも上手い商法だと思う。
 μ'sの下した決断は実際に観て確認していただくとして、改めてスクールアイドルという設定は便利だなあと感じた。
 アイドルの持つスポ根的な側面も描けるし、芸能界が舞台ではないからドロドロとした一面は描く必要がない(そもそもラブライブ!の世界観は徹底的に男性を排除している。現実世界にはたくさんいるもんな!)。
 そして何より、選択権は常に彼女達だけが持っているのだ。好きなタイミングで曲を発表できるし、これから何をするかも自分達で決められる。
 だからこそ今回のような物語に仕立て上げることができたのだろう。最後までスクールアイドルという設定を活かしきった点も評価したい。

 何より私はこの映画のラストが好きだ。
 ここを語ってしまうと元も子もないのだが、一言だけ言いたい。
 最後まで楽しい時間をありがとう! と……。
饂飩粉

饂飩粉