Nolton

LEGO(R) ムービーのNoltonのネタバレレビュー・内容・結末

LEGO(R) ムービー(2014年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

どこまでもレゴ!!な映像のクオリティ、現代風刺の効いたドキツイギャグてんこ盛りの王道展開も然ることながら、終盤のまさかな仕掛けには度肝抜かれ、涙溢れんばかりでした。

まず見る前のスタンスとしては「完全にノリが子供向けだし、評価高いと言うても所詮はレゴのプロモーション映画でしょう?」と完全にタカをくくってますよね。これはおそらく作り手も意識してやってるのでしょう。

序盤のエメットは創造性の欠片もなく、マスタービルダー達に責められる。ここを観てやはり察しちゃう訳です、「どうせ"誰かの真似はやめてクリエイティブになろう!"的な漠然とした一般論への着地だろう」と。

でも途中から、彼の"没個性"や"説明書通りに作る"という貶されていたはずの面が活きる展開になります。おや?創造性がテーマじゃないのか?

これは誰もが経験する事だと思いますが、本来子供でもレゴは説明書通りに組み立てる遊び方が大半でしょう。自分のイメージ通りに何でも組み立てられる人なんて少数派です。ブロックを組み立て自由に作る面ばかり注目されがちなレゴですが、この展開は「説明書通りに組み立てる事は下らない事じゃないよ」というメッセージにも受け取れますよね(まぁレゴ側もそういう商売をしてるからその側面は否定できないんですがw)。

そして終盤、実は今までの物語は子供のレゴ遊びの最中の想像であった事、おしごと大王はレゴコレクターの父親がモデルであった事、同時に平凡なエメットは創造性が無いのではなく"そういう役割を与えられていた"事(これは実社会とも繋がります)、武器がボンドであった理由なども一気に解ります。
そう、この突然の実写パートを経た瞬間「LEGOムービー」はどこか架空のレゴブロックの世界のお話から、「父親のコレクションで自由に想像し遊んでいた"子供"」と「いつの日からかそんな遊びをやめ、コレクションという形に拘るようになった"父親"」の親子物語へと変貌するワケです!上手いなぁ〜

レゴで自由にいろいろ作れたワケじゃなくても、それで物語を想像し遊んだ経験は誰しもが持ってるんじゃないでしょうか。レゴじゃなくても構いません。怪獣ソフビでも戦隊ロボットでもぬいぐるみでもいいですが、そんな"子供じみた"、"幼稚な"遊びをしなくなった時はいつだったか、憶えてますか?
最初子供向けだと見くびっていたこの映画は、この瞬間から突然「自由な遊び方を忘れた大人達」にそう語りかけてきます。これは漠然とした説教では無く、各個人の思い出とリンクしていく映画なのです。
完璧だったコレクションをハチャメチャにされ憤っていた父親も、自分がレゴにハマったきっかけに気づきます。俺は型に囚われ見栄えや形ばかりに拘って、なんてつまらない大人になったんだ…ごめんな……
そんな父親、そして観ている大人達をレゴは責めたりしません。マスタービルダーとなって最高のカタルシスを与えてくれたエメットは、おしごと大王、もとい大人を「許し」てくれ、自分の中の創造性に気づかせてくれます。
レゴブロックに、オモチャに赦された……まさか、そんな経験が出来るとは、バカバカしい序盤の展開からとても想像出来ません。

レゴブロックでいろいろ自由に作れたらそりゃすごいけど、でもクリエイティビティってそれだけじゃないよ。そんな事が出来なくても、あなたの中にクリエイティブな能力は確かに存在するんだから。そんなメッセージを秘めた凄い映画です。
リアルタイムにレゴで遊んでいる子供にはこれは伝わりにくいかもしれませんが、これ抜きにしても圧倒的な映像クオリティや冒険譚として面白く仕上げる様々な工夫が見られます。色んな層に様々な楽しみ方を提供出来る多層構造の映画って素晴らしいですよね。

オモチャで遊んだことのある万人にオススメ出来る映画ですが、どうにもネタバレ抜きでは勧め辛いのがネックかも。見る気無くさせるつもり満々な日本版予告の酷さも含めてね。(流行語多用はこの映画のメッセージへのアンチテーゼなのではw)
Nolton

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