Nolton

無垢の祈りのNoltonのレビュー・感想・評価

無垢の祈り(2015年製作の映画)
5.0
最初に観た時の感想は、ただひたすら、ひたすらに「怖い」。最初のオッサンから虫唾の走る不快感がゾクリ、その後も人の物質的・精神的貧困が産んだ怒号、喚き、暴力が濁流のように押し寄せる。そして最後の"祈り"としか形容出来ないフミのとても小学生のものとは思えない、切ない叫び。

正直映画がここまで暴力的になれるとは思わなかった。終始薄暗い画、工場の騒音が刻むひたすら不快なリズム。静かに進み直接的な暴力描写は少ないにも拘らず、明らかな陰湿さを醸し出す、家の中、街中、廃工場に溢れるムッとした熱気、虫の音、生活感。

通常暮らしている世界とはかけ離れた、しかし確実にこの世界の延長線上に存在するこの醜い日常に、果てしないリアリティを感じる。この目を覆いたくなるような描写、とてもフィクションとは思えない。いや、思いたいのに、映画が思わせてくれない。

家庭内暴力、性虐待、カルト宗教。それらが雑多に入り交じり地獄とも言うべき世界を作り上げられたのはその日常演出は元より、薄幸な少女・フミ役及びその他役者陣の狂気にも似た気迫に満ちた演技の賜物だろう。

リアルが"殴ってくる"。

監督曰く、終始カメラは少女の目丈(目線の高さ)に合わせて撮られているそうな。原作小説と読み比べて驚いたのは、原作が少女の回りの世界を詳細な描写を交え、少し引いた目線(第3者視点?から淡々と語っているのに対し、映画は常にフミ視点から世界を捉えている。故にラストの改変も納得。これはこの世界のどこかの1人の少女の話であると共に、フミという人間が生涯に経験した身の回りの世界の話だからだ。

上手い手法で婉曲されているとはいえ少女への性虐待をメインに据えたシビアなテーマ、この企画が実現した事が奇跡に感じる。やはり犯罪、暴力が渦巻く世界を描くことが出来るのも、フィクションの力であろう。

この映画、一つえげつないのが、フミの左目について。最初と最後で円環構造を描いている事に3回目辺りで気づいた。即ち彼女は、この映画内にパッケージされた、息の詰まりそうなジメジメしたどうしようもない世界を繰り返し繰り返し、いくら足掻いても脱出出来ないのだ。フミが途中に見る幻影は、未来の自身の姿。この地獄から逃れられず、虚ろな眼で笑みを浮かべるその顔に戦慄し、逃げ出すことすら出来ないと気づいたわずか10歳の少女が叫ぶ「無垢の祈り」、この言葉に込められた重みはとても計り知れない。
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