藻類デスモデスムス属

ニシノユキヒコの恋と冒険の藻類デスモデスムス属のレビュー・感想・評価

ニシノユキヒコの恋と冒険(2014年製作の映画)
3.5
いまが鳴いている。
 

「こういう映画ですよ」感がやや強く感じられ鼻白むようなところもあったけれど、ただそれがなければどうなっていたのかと考えると確かに合ってはいる気がして、なるべくしてなったのだと思えばおかしみのラインはある意味再発見だったし、もちろん実際に現れてくる面白さもあって、結論、二度楽しむことができる恋と冒険だった。仮に原作を未読だったとしても、気になっていつか本を手に取り、味わい直すことができたであろうことが想像できた。
 
たまちゃんと昴のくだりはすっかり頭から抜け落ちていて、どこだったっけとパラパラ流しみるあいだの目に映りこむワードだけでも、いちいちが「ニシノユキヒコの恋と冒険」。端的にいってセンスだけれど、それはまさしく「sense」や「感覚」であって、何気ないことばにある精確さと微細さに、膝を打ちながら、また包みをほどいていた。
 
それで出てくる猫が「なう」という名前なのは、原作からそうだった。「なう」は「にゃう」なのだけど、「なう」と呼びかけているのを実際に耳にして、いま、いまと呼びかけているのだなと思うと、いまかあ、となんだかすこし考えてしまった。ニシノユキヒコはおそらく、いま、だったんだろう。いまでなければならず、彼女たちがうすうすと感じていた気配、去らなければならなかった理由というのも、そこにあったのではないか、という気もしてくる。そして、去られたニシノユキヒコは、昨日や過去ではなく、亡くなったいま、さらにいえば、亡くなったいまとして生きている。それを囚われているといってしまうのは、いいすぎかもしれないけれど。
 
彼女たちは彼に呼びかけていた。それぞれの仕方で。しかし、いろいろな恋模様をみたという気にはならない。彼は呼びかけられ、鳴いていた。いや、呼びかけられる前から、鳴いていたのか。ニシノユキヒコは、色を塗る前のなにかなのだという気もしてくる。かといって、白でもなければ、透明でもない。じゃあなんなのだ、と問えばわからないが、とても不思議であるということと、冒険家たる資質のひとつのようにも感じられることはわかっている。