藻類デスモデスムス属

かそけきサンカヨウの藻類デスモデスムス属のレビュー・感想・評価

かそけきサンカヨウ(2021年製作の映画)
5.0
ある人の物語が、いつの間にか、別の誰かの物語に接続されている、という移り替わりのおもしろさに、六年前にみた「退屈な日々にさようならを」を思い起こした。言い換えれば、主人公が交代してしまうような、別の見方をすれば、主人公が特別扱いを受けていないような印象で、それは単に主人公が複数人いるとか群像劇であるのとは違い、かといって登場人物の掘り下げによって厚みが増すといったこととも違うような気がして、物語の相乗りをしていないこと、並列つなぎではなく、直列つなぎをしてしまうところが、独特なのかなと思った。

共有されていないとすれば、それぞれがあずかり知らぬところで行われる会話というものは、全体に自動的に位置づけられない。だからその会話は、他のなにかにつかまろうとしているようにみえる。そのつかまろうとするものは、そこに居合わせた人であったりして、このとき「代わりに」ということばが思いつく。しかし、この「代わりに」は、誰の~や、何の~、をつける必要もないような「代わりに」であって、伝えることは電車に乗って目的地へいくようなものではないから、伝えようとすることや、伝えられないことの向かう場所となって、食卓や公園のように日常的な風景でありながら、なにか心強いきもちにさせる関係となっている。

つかまろうとして、つながるときに運動があって、それを表す既知の用語がないときには、携帯電話がないので、不便で、苦労がある。なんとかして、伝えようとし、それを理解するよりも、受け取るということが先にあるということを感じる。受け取るといえば簡単に聞こえるけれど、そのとき揺れて、バランスを崩さないとも限らない。事実、こけるのではないかと少し心配をしていて、しかしいつの間にかそれが消えていたことに気づく。頼もしかった。そして、さんかようが朝露や水滴に濡れて、あるいはそれらを受け取って透きとおるのとあいまって、『淡く、強く、大人になる』というキャッチコピーが立ち上がってくることにも気づく。