emily

ダブリンの時計職人のemilyのレビュー・感想・評価

ダブリンの時計職人(2011年製作の映画)
3.6
アイルランド・ダブリン、ロンドンで失業し、故郷へ戻ってきた時計職人のフレッドは職も家もなく、車でホームレス生活を送っている。駐車場で年の離れた青年カハルと出会う。忘れてたあの頃の気持ちを思い出させてくれ、徐々に前向きを取り戻し、ピアノ教師ジュールスに一目ぼれする。彼女の通う水泳教室に通い、徐々に距離を縮め、彼女に本当のことを話そうとするが・・

テーマとなるホームレス生活。見た目からはその雰囲気は一切漂わない。きちんと身なりを整えて、日々のルーティンをしっかり守り、”一般人”を装っている。しかし家がないと失業手当も、生活保護も下りない。そんな彼の偽装の姿をカハルは見抜き、自分らしく生きる事は恥ずかしいことでも何でもないことをフレッドにたたきつける。二人の距離感が非常にほほえましく、お互いのない部分を気づかぬ内に補い刺激していく関係性。それは年齢も、育った環境も、考え方も真逆に近い位置関係だからこそ、お互いのないものに惹かれてよい相乗効果を生み出すのだろう。

つらい日常にも日々は同じように流れ、美しいものがあふれてる。美しい木の葉、紅葉に光る夕暮れの美しさ、二人のドライブの末見る、夜景の幻想感、それらの美しさに寄り添うピアノの調べが心に染み入るような優しい気持ちを引き出してくれる。二人の友情関係が距離が縮まり、未来が開けてくるように見えるが、変えられない、どうしようもできない現実が皮肉にも二人を襲うことになる。持ち前の正義感でかわすフレッドに感化されたように見えたカハル。一度は二人で乗り切り、美しい朝焼けを見て新しい一日が未来を連れてくるような映像美を見せながら、疾走感のある音楽で車の掃除をする。しかし現実ははかない。幸せな時間は一瞬で終わる。そこから落ちていくカハルに感情移入してしまう。

燃える火と打ちあがる花火、こんな瞬間でも世の中には美しいものがあふれている。短い時間であっても、例え家族からしたら邪魔者であったとしても、だれかに何かを与えることがある。それだけで生きてた意味を見出すことができる。誰かにとってその人の存在がかけがえのないものであるなら、その人の生は死をもっても、ずっと生き続けるのだろう。

人を変えるのはやはり人である。
人との出会いはどんな出会いでも運命であり、必然であり、
その出会いを生かすも殺すも自分次第である。
一つ一つの出会いを、人と交わることを、どんな状況でも大事にしたい。そうして人の心に寄り添える人でありたい。
emily

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