大阪釜ヶ崎のドヤ街で春をひさぐ二十歳の娼婦の日常点描
ファンタジーが入り込む余地などどこにもない徹底的なリアリズムを見せられる
日本のある時期の、ある場所でのどうしようもない現実をそのまま真空パックして、50年後の今にパッと開いて見せられたよう
貧困、売春、私生児、堕胎、知的障害、あらゆる差別と生きにくさの中でそれでも人は生きる、飯をくらい酒を飲む、セックスする
15歳で自分を生んだ娼婦の母と客を取り合う
父を知らない姉が、種違いで知恵遅れの弟のペニスを蒟蒻で包み「お前も男だからね」と愛撫する
慈しみあい憎み合う、未来への希望はない、しかしまた絶望もない、ただ生きている、今日と同じように明日も生きている
諦念しても死ぬまで生きるしかない
繰り返される生活の饐えた匂いがスクリーンの前の私の中にも染み込んでくる
これは確かにある時代のある風景を写し残した傑作だ
この上映が決まり、何故今、女性を商品化する映画を再上映する必要があるのかという批判が me too にあわせて起こったと聞く
隠蔽する事で解決することなど何もないと思う