Yoshitsune

フランシス・ハのYoshitsuneのレビュー・感想・評価

フランシス・ハ(2012年製作の映画)
3.2
59 フランシス・ハ
なんでこんな人間が愛らしいなんて思うんだ?
気づいた。ものすごく、嫉妬していた。自分にはできない生き方を。

フランシス。主演グレタ・ガーウィグ本人、その人生においては本作の前日譚であり、作品としては後の制作となる「レディ・バード」の少女が故郷サクラメントをでて、明るく、気ままに、仲間とよりかかってきままに生きていた時期の話。
ダンサーになる夢を志すには27歳と歳は重ね、その割には実力もなく練習も真剣にはみえない。家に帰れば同居人とくだらないトーク、叶うかなんてわからない夢を語ってタバコを吸う。
そんな暮らしを繰り返す。ある日、同居していたソフィーが家を出るという。ずっと親友だと思い彼氏の同棲の誘いを断って破局したばかりのフランシスには衝撃の決断だった。期を同じくして、ダンサーとしても外され、事務職に追いやられそうになる。

生きていれば誰にでもある、「そういう時期」だ。
周りの人生のスピードと自分のスピードがズレ、生活にひずみが生じる。
誰かが決断しなければならない時期を乗り越え、別の誰かの心が動揺する。

先のあらすじは一気にはしょるが、フランシスは別の男たちの部屋に転がりこむがそこでは、制作に燃える青年と世を楽しむ色男を瞳に映して、耐えられず放浪したり、故郷に帰って職をみつけたりして、最終的にはちょっとした才能を見出して、ダンスに、親友にふたたび関わるようになる。落ちこぼれるようなダメ女でも明るくのらりと、好きを追いかけて生きればなんとかなるさ、と。

そんなのないよ、と思った。
許したくない、と思った。
明るく生きようとしているのに、ただ明るく生まれついた人間が幸せなんて。
言いたいこと押し殺して生きているのに、言いたいこともまとまらないような人間が道を見出すなんて。
くだらないことばかり、努力を怠っているのにそこそこの才覚を見出して生きてしまえるなんて。
と、自分はほどほどで生きることで満足することをずっと拒否している。
それが人間のふつうなのに、ふつうになることを拒んでいる。

人生それでいいじゃない、という映画のテーマにはものすごく納得がいくのに、自分自身にはそれが全く許せない。
でも、わかる。自分がわかるよ。
うまれついた環境に抗って変わろうとしてきて十数年、いよいよ自分の能力がみえてきて、環境に甘んじてしまいそうになっている自分に嫌気がさしているんだよね。
やんなるね。でもわかる。がんばった結果、病気したの、安心したよね。やっぱり自分はこの世界から拒絶されてる。不要でいい存在なんだって。よかった死ねる。

でも生きてるね。未だに抗って、何かのこそうとして、でもときにがんばれず、ひとりで塞ぎこんでもがいてるね。よかった、生きよう。

なにげないふわふわした映画だけど、だからこそ、自分を締めつけて生きている人間を燃え上がらせ、内省を促してくれるのが「フランシス・ハ」。凡庸でもいいって思いたいけど、そう考えた瞬間生きる意味が根底から崩れてしまう人もいる。それでも生きるよ。
Yoshitsune

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