Yoshitsune

パラサイト 半地下の家族のYoshitsuneのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.5
60 カンナムの資産家は驕りと慢心のために入り込まれ破滅させられた。半地下の家族は驕りと慢心のために嫉妬し衝動のために破滅した。地下の家族はよく諂えたが半地下への執着的な優越心のために破滅した。

ポン・ジュノ監督はこの作品の受賞をうけての数多のインタビューの中で、彼が映画に社会的意義を持たせるために社会問題を題材としているわけではないと答えている。ただ、韓国人にとって格差は心にも根深く馴染みのあるために取り上げている。つまりあくまで映画的道具のひとつとして、映画的映画を作るために拾いあげているに過ぎない。

実際、映画そのものは、「映画的表現」をふんだんに使用している。
巧妙な伏線の数々、音楽とモンタージュの反復、思わず考えてしまう異質な構図の数々(バーニングの撮影監督さん、すごい)。社会性をもたせるならショッキングなシーンや象徴となるイベントをシナリオに盛り込めばいいところを、監督は委細にわたるまで映画的ロジックを張り巡らせていた。

その上で、この韓国の格差問題を題材に、メッセージとして伝わってくることは、いかなる層も他の層への差別意識によって滅ぶだろうこと。
富める者たちは社会からもっとも反感を買う人間たち。自らの力でもって獲得した利得は正しく税を納めて社会貢献に分配したならば自由に処分されるべきもの。にもかかわらずマスはその使途に厳しく目を配り、あまつさえ資産を有していることさえ批判の対象になる。
そして富める者たちは、社会から距離を置き、孤立したコミュニティを築くようになる。すると悲しいことに先まで批判していたものたちの問題にはまったく経済が循環して来なくなる。作中にも出てくるように、彼らは何にも知らない「純粋」な人種になる。そして、いざ貧しいものたちに対峙するとその無知ゆえに怒りを買い滅ぶことになる。

対して、貧しい社会多数、ここでは半地下として取り上げられた人間たちは、富裕層に差別的とさえ思える視線を常にむけている。彼らは大学にせよ就職にせよ、相当の成功を収めないと生き残れないことを理解し、競争し、敗北すれば不満の声をあげるか、とにかく生き延びることが目的である。
だから、半地下の家族も狡猾にサバイバルする__はずだったのだが、運良く富裕層に寄生することによって一気に社会的階級を高めることができた。
本来、これで落着だったはずである。富裕層は無垢だから、疑いをかけられない限りは施しを受け取り続けられる。でも、それができず寄生エスカレートしてしまい、投げかけられる心ない言葉に耐えきれなかった。
ここの核心はその抑えきれない民衆の「怒り」だ。彼らの過剰なまでの公務員や富裕層への嫉妬は、何気ない悪口や陰口に漆黒の炎を渦巻かせた。同じ階層の友人グループや家族であればなんでもないような言葉も「あの金持ちどもが」言うのなら途端にコロシの動機にまで変貌してしまう。

そこに「民衆の怒り」に基づく運動の限界があることをパラサイトは指摘していた。

半地下の家族はあろうことかさらに下層の地下の家族にも、生活を奪われんとして一方的に闘争をしかける。半地下の家族はついに奪う存在になるのである。
皮肉なことに、最も良好な関係にあったのはこの地下の家族と富裕層だった。
地下の家族はもはや富裕層を別種の存在とみなし、崇拝し、その施しによって生きながらえていた。なぜなら彼らにとって富裕層は自らなりえない存在であって、救いを与えてくれるもの、つまり神であったからだ。

この異様なほどの格差とそれによる別種の人間の共生関係の成立、格差への怒りが近種の人間同士にもたらす破綻。
自分にはこの映画が民衆の身を預ける「怒り」への警告にみえた。
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