Yoshitsune

すずめの戸締まりのYoshitsuneのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

すずめの戸締まり
死にたがりが生きたがりになる物語。
「死」に生きる理由を見つけることをやめること、生きのびていることの幸せに気づくことを呼びかける作品。

人間は大きな脅威から身を守るように、心に災いが降りかかった時にも安らげる虚を信じてしまうもの。
すずめは脳に居座っている、震災直後のどこかで出会った、黒渦に呑まれたはずの存命の母の記憶にすがる。
でも心のどこかで諦めていているから、死を恐れない。
どうせ死んでるんだから閉じ師の大役の一部となることで生きた証を残そうとしたかった。

それは絶望したり、愛される機会を失ったりした人間が陥りがちなパターン。
「名を残すために身を捧げる」「君のためなら死ねる」である。

だが草太は違った、彼は聡明で良血で大役を務めながら
「幾千の人様のために捧げ物として死ねる」その瞬間になんと生きたいと願ったのだった。

それは自分が愛を抱き始めた人間が死にたがっていたから。

覚悟を決めてくれたならそれでいいやん、みんな助かってよかったね。
と、記録に遺される英雄の典型的最期だったが、それをすずめは拒絶した。

残された愛する人を救うためなら死んだっていい、そうして死んだはずの母にも会えるのだから。
そうやって膝上まで深く死へ直進していったすずめだが、長いロードムービーの過程で少しずつ気づく。
どんな環境でもなるたけ愛し、なるたけよき人として振る舞おうとする生き方にがあることに。
そういう生き方に自然と人は引き寄せられていくことに。

命を賭して何かを成して、英雄として去ったとしても救われた人間がけして幸福には暮らせないことに気づく。
そして理解する。全力で愛情を注いで自分を幸せにしてくれるのは、想い出や死ではなく自分自身によって紡ぐ未来だけなのだと。

人間の営みと無関係に無慈悲にも生命や愛情を奪う世界であることを受け入れること。
すがることによっては救われない。生きたい、愛したい、愛されたいと思えるようになって前に進めること。

それが作品のメッセージ。

ーーー命がかりそめだとは知っています。
死は常に隣にあると分かっています。それでも私たちは願ってしまう。いま一年、いま一日、いまもう一時だけでも、私たちは永らえたい。ーーー

感想おわり

【細切れ感想】
最初、お母さんが要石になったのかと思った。
でも被災者を要石になるために死んだ、他の人のために死んだんだ、と勝手な理由付けをして正当化していいものではない。
でも理不尽にあった時、どうやらそうであってほしい、私から奪ったのには理由があるんだと思ってしまう気持ちは自分にもあって、すずめと重なっていった。

育ての親との関係性、この作品だと簡単に済まされているけれど、被災者のみならず親との関係性に問題を抱えた家庭にいた子ども(元含む)にメッセージを送るのにも十分だった。ほんのわずかなシーンだったけど、自分と育ての母が陥った口論と完全に重なって見えた。
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