Yoshitsune

BPM ビート・パー・ミニットのYoshitsuneのレビュー・感想・評価

4.3
集合としてのHIV患者、ひとりひとりの人間・パートナーとしてのHIV患者、人間の活動・命の価値を二つの視点で描く。

「自業自得」の罹患とみなされ軽視され、蔑視されてきたHIV患者。
流行期のその内実、切迫した人々の激しい闘争について内部の視点から丁寧に教えてくれる第一部。と、客観的に、傍観者的に、歴史のオベンキョウ的に受けとめているところに、一組のカップルの始終を差し込んでくる。

行き先のある人たちが行き交うエキマエ、深夜のコンビニへ向かう途中の暗く聳え立つマンション群をみて、このひとりひとり、ひと世帯ひと世帯に人生があるんだよな、、、とか感じて怖くなっちゃう永遠に多感なお年頃なボクですが、今作では観客みながその立場になる。
ひとの人生を勝手に歴史にするな、教訓にするな、俺たちは生きていたし、生きている、同じ人間であり、人生がそこにあったんだ。と言わんばかりに抗い、諦め、無気力と希望の合間を行き来して死んでいく人間をそこに映し出す。
映画みて社会勉強してんじゃねえよ、と。

でも、そうして消えていったひとつの炎、それはきっとこの世界ではほとんど価値を持たないんだよね。。。
だから、活動団体の尊き団員の死として、ACT UP(HMV罹患者の活動団体)は、その死が新鮮なうちに祭りたて、抗議運動の種火とする。この映画はわずかでもその命に人間社会的価値を持たせようと試みる同胞たちの行動までを描いて終わる。

自分も命、生活を失い他者にとっての存在意義をほぼほぼ失った経験を通じて痛いほどわかる。
生産なくしてはこの命に社会的価値はない。間違いなく。
早逝したバスキアも、誰にも生を望まれなかったゴッホも、何かを遺したからこそ生きた価値をあたえられている。別に死後評価されたいというわけではない。人間への評価は 儚く単接点だけれど、産み落とされた作品への評価は多次元的で永遠に残り続ける。

人は常に社会的な生産活動を通じて自分の命が燃えた意味を求めているんだよ。
と、ずっと変わらないボクの考えに回帰する。異論は聞きたい!!!

以上!超久しぶりに書きました。たくさん書くぞ!自主的に!
Yoshitsune

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