Yoshitsune

マリッジ・ストーリーのYoshitsuneのレビュー・感想・評価

マリッジ・ストーリー(2019年製作の映画)
3.7
父と母、妻と夫、そして一人の人間としてどう生きるべきかの葛藤、というありがちなテーマ。を、離婚の無情なプロセスを通じて描くというある意味で実験的な映画。

映画を、読み解く
舞台をNY/LAの二箇所を頻繁に往復するが、一見単調で代わり映えはしない。
シーンも家か弁護士事務所か劇場か、人物も70%くらいはアダム・ベイカーかスカーレット・ヨハンソンが占めている印象。

つまらなさそうだが、それでも全てに違いを感じられる。それは、夫婦がお互いに目的をもって変わろうとしているから。傍目には些末なレイアウトであったり、滑稽な面談であったりするけれど、それでも二人が変わるために環境や相手に対してアプローチしていく。
その目的はまず子のために、次に第三者の介入がために自己のためになっていることを悟り、思い悩むうちに相手方への敬意・愛情を再び取り戻すようになる。かれらが気づいたのは、これは誰も望まない戦いだと気づいたからだ。新しい人生のためには離婚は必要。でも、そのためにお互いを潰し合う必要なんてなかった。なのにした。唆されたから。劣等感を抱えていたから。優越感に浸れたから。
最後に気づいたとき、目の前には愛する相手と守るべき息子がいた。離婚はしなければならなかった。妻の人生を前にすすめるにあたって必要なことだった。でも、離婚を通じた浄化を経て、3人が離ればなれになることはもうないのだろうな。。。


映画を、観る
あきらかに冗長になる危険性を多分にいはらんだ作品。
でもそんなのフッ飛ばしちゃったよ。アダムとヨハンソンが。

信じられる?あれ?これ映画たったっけ?と思い出したら15分くらいずっと夫婦喧嘩や
言い争いを見てたというのが複数回ある。困ったことに気持ちが入ったその演技、よそ者のワレワレ、席をはずしたくなる。そこにはいないけど。
あれだね、名演だね。

そしてセット。周囲の役者の予言的な発言も含めて、いわゆる「すべての小道具には意味がある」状態だ。
冒頭の一枚の手紙、新宅の観葉植物のレイアウト、構図がシンプルでカットもロングなのでたくさんの意味を自然に汲み取ろうとしてしまった。だからネトフリでヒットしたんだと思う。みんなで答え合わせできるし、ひとりで疑問に思ったら止めればいい。

個人的にちょうど彼女と別れるところだったので、重く刺さった。
自分の未来にまだ輝ける可能性があると考えている人にとって、配偶者の負担、自分の犠牲のもとになりたっているとき、こころのコンパスは極端な感情をさすものだ、うまくいっているなら嫉妬、苦しんでいるなら寛大、ときに尊大さを、そして蔑ろにされているなら無気力感を指し示す。
そして、人生をささげるだけの価値を相手の人生に見出せなくなったとき、ひとは切り捨てる。
自分はかつて切り捨てられた人間だった。それは、自分がパートナーとして存在する世界と、存在しない世界、その切り離す過程でのダメージが比較衡量され、何の救いもなく共に救護ヘリを待ち続けるより、一人なら届くはずの明るい前途にかけて駆け出す選択がベストだったからだ。

多数はそれに続いた。そして改めて自らもその立場になったとき、そうした。
助けてくれた、どんなに辛い時も一緒にいてくれたあの人たちにはなれなかった。
あの人たちはなんで助けてくれたのだろう。じぶんには分からなかった。むしろあの人の気持ちが身にしみて分かりすぎた。助けてくれた人たちはじぶんに価値や可能性
あると信じてくれていたのだろうか。あるいは価値がなくとも人として守りたい矜恃を僕の肌に重ねてくれたのだろうか。そうならば人として尊い。でもきっと、僕の周りの人はみんな弱かったんだ。体が元気になってみんなと話してみてそれはよくわかる。みんな何かに引っ張られて生きているんだよね。わかりたいよ。

そう、脇道にそれたけれど、まさしく今回の夫婦は相手を支える心の柱がなんなのか、お互いにそして自分の偽ってきた柱がなんなのかを理解したから、最後の終わり方はあっけなく、味気なく、それでいて確実な前進を予期させるものだったんだ。だよね
Yoshitsune

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