Yoshitsune

失くした体のYoshitsuneのレビュー・感想・評価

失くした体(2019年製作の映画)
3.6
58. 切り離された「手」は探し求めた。失った体を、消え入りそうな生きる希望を。

バンド・デシネみたいに音も起伏も小さく進行するフランスのアニメ映画
描かれるのは事故で切断された「手」。手はまるで感情を持っているかのように「振舞い」、人の子のように振る舞う。さながらトゥーン3Dアニメーションえいがのよう。私たちは、「人間の擬手化」を楽しみながら、かれが求める戻りたい場所への旅を見守る。

等身大の「手」の旅は過酷で、どこかの保冷室に入れられてしまっていたものだから、まずはそこから飛び出し、人間が人間向けに設計した建物や乗り物を伝い、肉としかみていない捕食者たちを躱しながらもといた場所へと帰ろうとする。
同時進行するのは手の持ち主の回想。手にさえ共有する強烈な原体験の記憶。親を失い、底辺の生活を強いられていた彼に一つの希望が降ってきた。しかしそれを「掴み損ねた」ために彼は打ちひしがれ、自棄になってしまう。それを食い止めるためのたびだったのだが、最後はもはやそれが必要ないことを知ることになる。

「手」がなくした体を求めて旅をするという突拍子もない企画。
ていねいで「手」に感情移入してしまうほどのしぐさ描写。
希望と絶望に翻弄される青年の直面する現実にはファンタジーはなく、
自らの賭けから生きるしかないことを見出していく。

表現として「手」への執着に言葉を失った。
聴く手、掬う手、守る手、握る手、戸惑う手、慌てる手、踏み出す手。
主役がおさまるべき構図の位置にはいつも手がいた。
これは紛れもない主人公の「擬手化」。手を勇気付ける映画だった。
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