唯

セールスマンの死の唯のレビュー・感想・評価

セールスマンの死(1985年製作の映画)
3.7
このお家、実は屋根や壁がなくて、セットです!これは虚構です!と主張している。
原作が演劇なので、演劇らしい会話劇。

現実を受け入れられず、過去と空想に縋るウィリー。
どこまでが現在の現実でどこまでが妄想なのかが判然としなくなってくる。

親が子供に期待をかけるのは自分勝手なことであり、親離れ子離れができていない親子の摩擦を描いている。
親達は、自分の期待通りにならなかった子供に対して裏切り者扱いをするが、子供に自分の人生を背負わせていることこそ大人になりきれていない証拠ではなかろうか。
子供への期待を捨て切れない父、夫に真実を告げられない妻、親への承認を未だに求めている息子、そんな家族関係はどこにでもある。

真面目に堅実に会社や家族に仕えて人生を捧げて来たのに、その見返りはあまりにも小さすぎる、というのは哀しいところ。
男性は、夢ややりたいことがあっても、まず家族を養うことが最優先事項なので、自分軸の人生を生きられない。
稼ぐという命題からはどうやったって逃れることを許されない、それが男の悲哀である。

コツコツ働いて来た勤勉さには自負と絶対的な自信があるからこそ、ウィリーは自分が正しいと思って揺らがない。
他者の意見に耳を傾けず、息子のことも受け入れられない。
子供からしたら子供の言い分があり、親が子を育てたのはエゴでしかないのに、聞く耳や寄り添う姿勢を全く持たないウィリー。

彼は、息子のことを存在承認しているのではなく、条件付きでしか承認しない。
成功しているビフ、活躍しているビフ、金持ちのビフ、でしか息子を認められないのだ。
そんなウィリーは、自分のことも条件付きでしか愛せないので、承認欲求の塊と化している。

プライドの高さから自分の人生を生きづらくし、現実を受け入れられず過去に逃げるウィリー。
母もなかなかに気狂いで。
夫がこうなった原因を全て息子に押し付け、息子のことは全否定してどこまでも夫の肩を持つ。
それと、ビフのことだけ取り上げられて、弟の存在感が薄過ぎる。
当時の親は、長男のことだけしか頭になかったのか??

ビフは、ただただありのままの自分を認めて欲しかっただけなのに、それをいくら説明しても理解できないウィリー。
自分は何者かになれる、何者かなのであると信じたいウィリーの人生は、どれだけ息の詰まるものだったろう。

ダスティンホフマンやジョンマルコヴィッチの体当たり演技がお見事。
この芝居やりたい!!!やる!!
唯