ふき

ピクセルのふきのネタバレレビュー・内容・結末

ピクセル(2015年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

現在はうだつの上がらない天才アーケードゲーマーたちが、襲来するゲーム的エイリアンと戦うSFアクション作品。

内容は上記の要約以外の何ものでもない。昔のゲームキャラクターがボクセル化して地球にやってきて、観光名所が何箇所か襲われる。やられた部分はやはりボクセル化して崩れ、バシャっと地面に散らばる。そのCGは迫力があるし、見ていてワクワクさせてくれる。だが、本作の魅力はそこだけだ。
上記と得点で結論は出ている。これに納得できた方は、以下の長い感想は別に読まなくていいです。

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本作を見て感じた疑問は、「これって誰に向けて作ってるんだ?」だ。
本作のお話は、「現実では負け犬のオタクが自分の世界観で願望を成就する」というものだ。オタクが社会の軋轢に立ち向かうでもなく、社会がオタクの在り方を受け入れるでもなく、ただオタクが活躍できる場が都合よく用意され、主人公がこれと言った努力もなく成功する。言ってしまえば「オタクポルノ」だ。
これは本作のクリス・コロンバス氏が同じく監督したハリー・ポッターシリーズの一~二作目と同様、「今は不幸な君にも、実は世界を救う才能があるかも」と言っているだけだ。それは子供向け作品なら問題ないし、ハリー・ポッターのようにそういう甘い顔で導入して、三作目から「才能だけでは解決できない問題もある」と現実を見せてくるような作りなら、この描き方にも“利”がある。
だが本作は扱われるゲームもギャグも、明らかに大人向けだ。それも一九七〇年代後半から一九八〇年代前半にかけて子供だった、二〇一五年に四〇代くらいであろう元ゲーマーだ。そんな大人の客層が、懐かしのキャラクターが出ているというだけで、ただ主人公を甘やかすだけのポルノ的お話をスルーできるのだろうか(私はその層ではないので分からない)。

では年齢問わずゲームオタク向けなのかと考えると、今度はゲーム描写の詰めの甘さが目立ってくる。
本作では多くのゲームがフィーチャーされており、中でも『センチピード』と『パックマン』と『ドンキーコング』は主人公チーム「アーケーダー」が戦うアクションシーンとして大きく扱われる。その戦いが、お世辞にも「マニアも納得の出来」とは言えないのだ。
まず『センチピード』と『パックマン』に関しては、前者は実際の光線銃を手に走り回って敵を撃ちまくる、後者は実際のクルマで道を走り回ってパックマンから逃げ回る、とハリウッド映画によくある銃撃戦とカーチェイスでしかない。『センチピード』の方は、作戦の立案中は「オタクはパターンを教え、撃つのは軍人」と真っ当なものなのだが、作戦が始まると軍人は一から一〇まで役に立たずで、代わりに今まで銃を撃ったこともないようなオタクが現実世界で無双を始めるのだ。いや、もちろん盛り上がるのだが、それは「二人同時に背面撃ちでムカデを倒してワー!」「ムカデがオバちゃんと一緒にエアロビやってるゲラゲラー!」といった一過性の興奮や笑いでしかなく、総体としてゲームを再現することで生まれる盛り上がりや、オタクがオタクとしての技術で軍人を凌駕して活躍するカタルシスではないのだ。
『ドンキーコング』だけは異空間にステージをまるごと作り、その中で主人公チームとドンキーコングを戦わせるという高い再現度で見せてくれるのだが、こちらは違う意味でどうしようもない。直前にあるキャラクターがしたチートをエイリアンから指摘されているにも関わらず、主人公は「梯子がないところを掴んで上にあがる」「ハンマーを投げてドンキーコングに当てる」といったルール無視を行うのだ。これはチートではないのか? ゲームの裏を突いて勝つなら実機で使える裏技でなければ、エイリアンだって納得しないのではないか?
上記のように、本作はゲームのキャラクターを登場させてそれらしい舞台で戦わせてはいるが、実際にはゲームマニアが納得するほどゲームを再現してはいない。都合のいい部分だけゲームの絵面を使って、それ以外はお話の都合に合わせて平気でルールを捻じ曲げている。とても「ゲームに愛がある作り」とは思えない。

では現代のゲーマーに、ファミコン前夜のアーケードゲーム文化を紹介するような狙いかというと、それも違う。
本作の主人公は、少年マティがプレイする現代のゲームを見て、「味気ないゲームだ」「パターンがなく、撃つだけ」と言う。「パターンを覚え、弾を数え、速度や数を計算するのが勝つコツだ」と言う。マティはそれに「キャラになりきって死なないようにプレイするんだ」と返し、主人公は「それは常に成功するとは限らない。オレの時代にリセットボタンはなかった」と言う。
うーん、そもそもこの会話の流れに突っ込みたいのは置いておくとして、マティがプレイしてるのって、PS3の名作サバイバルホラー『The Last of Us』だぜ? 横から見ていたゲームの天才の主人公は、あのゲームにパターンがないと思ったの? 自分のリソースと敵の行動を計算しないで上手くプレイできるとでも? 本作の脚本家や脚本をチェックしたプロデューサーや撮影した監督は、『The Last of Us』をプレイしたことある? どんな意図で具体的に発売しているゲームを見せて「最近のゲームはダメだ」みたいなこと言わせてるの?
『The Last of Us』を楽しくプレイした私はこのシークエンスで頭にきており、しかもこの件に対するフォローもなく映画が終わって“SONY”の文字が流れてきた時には、なんというか、呆れて言葉が出なかった。送り手から「本作は二〇一五年現在の最新ゲーム機を楽しくプレイしている人が見るべき映画ではありません」と言われていたと感じた。

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以上の大きな不満点の間に、「ギャグの当たり外れが激しい上にお話と関係ない」とか「キャラクターが好きになれない」とか「敵の侵略による危機感が分からない」とか「地球の技術力がよく分からない」とか「恋愛要素の取って付けたっぷりが半端ない」とか、そういう細かなノイズが積み重なって、どうにも映画全体に私は乗れなかった。地球の行く末も各キャラクターの行く末も、別にいいや、と思ってしまったのだ。
それでもこの得点なのは、途中で「これはおっさんのゲームオタクポルノなんだ」と割り切ってからは、懐かしいゲームのキャラの再現や、破壊される物体のボクセル演出、クライマックスのスペクタクルシーンを楽んだからだ。予算八八〇〇万ドルにしては工夫されたCGを楽しんだからだ。
それは否定しない……けどさ。
ふき

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