emily

だれのものでもないチェレのemilyのレビュー・感想・評価

だれのものでもないチェレ(1976年製作の映画)
4.1
 1930年代のハンガリー。孤児の7歳の女の子チェレは養子に出され、お金のために引き取られた家族に裸のままこき使われ、虐待され、耐え忍ぶだけの日々だった。ある日使用人の老人と出会い、人の優しさに触れる。しかし現実はさらに厳しくのしかかってくる。

 広大な牧場の自然美をしっかり捉え、裸で走り回る子供の楽しそうな姿がある。しかし現状は厳しく、裸であるのは服を与えられないからであり、やせ細って少年のように見えるのは食事も与えられないからである。過酷なチェレの現状を綴りながらも、どこかに希望を残す。それはまだ子供であることと、母親がいつか迎えにくると信じていることだ。鳥の群れがきれいな形を作って空を飛ぶ。牛の群れ、鶏の群れ、動物たちの群れを何度と繰り返して描写する。まるでチェレもその群れの一員のような、何をどうあがいても家族として受け入れられる事はなく、動物でお金を生み出し、家族のために働く道具でしかない。過酷な現実も壮大な自然美と、それでも無邪気な笑顔を見せるチェレの姿におおらかに包まれ、動物たちのふれあい、老人とのふれあい、花とのふれあいにより、浮き彫りになってくるのは、彼女のピュアで穢れのない心である。

 動物たちに好かれる。それは彼女が動物たちと無意識に対等に向き合い、愛しているからであろう。しかしそのピュアな心が大人を惑わす。穢れてしまった大人たちはそのピュアだけの心を信じる事ができない。ただ母親に会いたい。それだけなのだ。告げ口をされるのではないかという一抹の不安はチェレの知らないところで育っていき後半は静かにサスペンスフルな展開へと誘う。純粋な子供の心は特に大人たちには凶器となるのだ。そのまっすぐな心を信じられないのはそれだけ自分自身がけがれているからである。

 彼女が選んだラストの煌々と燃え上がるオレンジの火がダイナミックな中に繊細さを残し、冒頭へつながるオレンジの夕日に溶けていく。それは彼女の心を映すように勇敢で美しいのだ。そうして何もなかったかのように明日はやってくるのだろう。そう観客すら今作を観て衝撃を受けても、日々の中に埋もれて行ってしまうであろう。それは残酷でいたたまれない仕打ちの数々であるが、それ以上にチェレの心の美しさと強さの方が際立っている。
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