鋼鉄隊長

ゴジラ キング・オブ・モンスターズの鋼鉄隊長のレビュー・感想・評価

2.0
東宝シネマズ梅田にて鑑賞。(DOLBY ATMOS)

※ネタバレとまでは言いませんが、多少は核心に触れるような話をしています。


 マイケル・ドハティ監督はオタクだ。ただし「ゴジラ」オタクとしては全然なってない。彼は「怪獣にしか興味の無い」オタクだ。ゴジラが何たるか理解できていない。
 「見たかったモノが全部詰まっている」「vsシリーズの再来」「怪獣プロレスは文句なしに満足」等々、数多くの好評を観に行く前から聞いていたので非常にワクワクしていた。しかし、映画を観て愕然とした。何だコレは。あまりにも人間ドラマが酷くて観ていられない。怪獣が出現するまでのサスペンスも無ければ、怪獣災害に見舞われる人々のパニックも描いていない。ランドマーク破壊など当然無い。「道を踏み外した母親と、それを止めようとする父娘」という非常に狭い物語でしか展開していないのだ。世界中で同時多発的に怪獣が出現したというのに、全くもってハラハラすることが無い。「怪獣」はそれに対する人々の反応があるからこそ、恐怖の化身にもヒーローにもなれるのだ。ただ単に怪獣を出すだけでは、おもちゃ売り場に吊られているソフトビニール人形と変わらない。
 そして、人間ドラマについてはもう一つ不満点がある。芹沢猪四郎博士のキャラクターだ。僕は前作のギャレス・エドワーズ版『GODZILLA』から、この人物が大嫌いである。何故、この名前なのか。『ゴジラ』(1954)においてオキシジェン・デストロイヤーを発明した芹沢大助と、同作品の本編監督である本多猪四郎から名付けられたこの男は、彼らを冒涜するような行動を取り続けている。芹沢猪四郎の行動は常に「ゴジラを守ること」に終始している。しかし『ゴジラ』を見返して欲しい。芹沢大助はゴジラを「自身の作った悪魔の発明(オキシジェン・デストロイヤー)を使わせようとする存在」として忌み嫌っているのだ。彼は劇中で一度もゴジラの名を呼ばない。本多猪四郎は『ゴジラ』という作品の中で、芹沢だけがゴジラ(そしてその背景にある軍拡の脅威)に怒りを燃やす人物として描いている。本来、芹沢猪四郎という存在は「ゴジラを抹殺しようとする人物」として描かれるのが正しいのではないだろうか。ゴジラをヒーロー視しているのであれば彼は、『ゴジラ』の作中で保護を訴え続けた山根恭平(演:志村喬)と歴代22作品の制作に携わった「ゴジラの産みの親」田中友幸から名を拝借して、「山根友幸」とすべきだ。
 余談だが、芹沢猪四郎についてはドハティ監督のインタビュー記事( https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/ )を読んで更に失望した。ドハティ監督は自らがゴジラを愛しているからこそ、芹沢にもゴジラを愛することを強要したのである。そのためには「二度と使わせない」と封印したオキシジェン・デストロイヤーを再び使用することも、反核の隠喩であるゴジラに回復アイテムのように核兵器を食らわせることも厭わない。ドハティは最低最悪のゴジラ狂信者だ。こんな悪魔が撮った作品と知っていれば、僕は絶対に観なかった。

 そしてこのゴジラ狂信者は、ゴジラのメッセージ性だけでなく「エンターテイメントとしての怪獣映画」も理解していなかった。あの怪獣プロレスを観て皆は本当にワクワク出来たのだろうか。ゴジラをはじめとする「いつもの4体」が、真新しさの無い平凡な戦闘を繰り広げるばかり。傍観者と化した米軍は遠巻きに眺めているだけ、新怪獣は遠くでただ歩いているだけだ。クソつまらない。人間ドラマが退屈なのにガチンコの怪獣バトルが見られるのは終盤くらい。ため息が出る。
 皆が観たかったゴジラを僕なりに代弁するなら、ゴジラvs新怪獣は描いて欲しかった。中盤まででゴジラは3体ほどの敵怪獣を倒すべきだ。ナウマンゾウのような怪獣(ベヒモス/ BEHEMOTH)とゴジラががっぷり四つでぶつかり合えば興奮したことだろう。ムートーとの再戦があれば両者を応援したはずだ。人知れずキングコングが善戦していたら、来年の『ゴジラvsコング』に期待して拍手を送った。劇中に名前しか登場しなかった「モケーレ・ムベンベ」に至っては、ちらっと姿を見せて自己紹介しただけで笑い転げただろう。蜘蛛のような怪獣(シラ/ SCYLLA)がラドンに食われてしまえば、後のモスラ戦で「モスラがラドンに食われるのでは」とハラハラしたことだろう。僕たちが見たかった戦いは怪獣トーナメント戦だ。世界各地で巻き起こる弱肉強食のバトルだ。
 そして人類も黙ってはいない。地球の支配者たる威信をかけて、メーサー殺獣光線車や轟天号で、怪獣バトルの最前線に突っ込んで欲しかった。ラドンに墜とされた戦友の仇を取るために単機で挑む戦闘機乗りがいても良かっただろう。空を埋め尽くすほど無数のスーパーXが、編隊を組んでラドンやモスラと空中戦をすれば快哉を叫んだ。最終決戦にてゴジラと米軍が協力してキングギドラを倒し、「次はお前だ」と言わんがばかりに人類とゴジラが睨み合ったその時、天から舞い降りたモスラが両者を諭して怪獣たちが海へと帰れば、エンドロールは感涙で見れなくなったことだろう。
 少なくとも僕が見たかったのは、そんな「ハリウッド版『怪獣総進撃』」、否、「ハリウッド版『Final・Wars』」である。戦闘に次ぐ戦闘。血沸き肉躍る狂乱の怪獣プロレスに酔いしれてからBlue・Oyster・Cultの『GODZILLA』が流れれば、この映画は生涯に語り継ぐ逸作になった。ただ単に伊福部音楽を垂れ流して、見慣れた怪獣だけに頼るようでは、オタクでなくても誰でも撮れる。ドハティは怪獣オタク失格だ!
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