鋼鉄隊長

戦国自衛隊の鋼鉄隊長のレビュー・感想・評価

戦国自衛隊(1979年製作の映画)
4.5
京都みなみ会館で鑑賞。

 「地球なめるなファンタジー」と言う言葉がある。浅学だが、元はライトノベルの用語だったと思う。最近では「異世界転生もの」と呼ばれるジャンルが賑わいを見せている中で、現代技術を駆使して異世界を無双する展開を、「地球なめるなファンタジー」と呼ぶそうだ。そんなラノベ文化を多く発信する企業KADOKAWAが、40年近く前に作り出した映画こそ、この『戦国自衛隊』である。
 僕はこの作品を「異世界転生もの」の精神的起源だと考えているが、特筆すべきはテーマ性。「地球なめるなファンタジー」に対を成す「異世界なめるな地球人」が、この映画の核なのだ。
 訳も分からず戦国時代へとタイムスリップさせられた陸・海上自衛隊官21名。61式戦車にシコルスキーS-62と言った軍事的均衡をぶち壊す超兵器を携えた彼らは、まさに一騎当千の無敵小隊。愉快、痛快、天下布武といった調子で、戦国の世に名を轟かせる。兵どもを蹴散らし、女を犯す。清々しいまでの外道ぶりも、エネルギッシュに描き切ることで不快感が払拭される。注目してもらいたいのは、彼ら自衛官の暴力は青空の下で行われること。特に拉致した女との乱交場となる19号型哨戒艇は、開放感ある沖合に出た。これは鬱積した昭和(現代)からの解放を意味する。
 しかし、異世界は黙っていなかった。
 川中島で彼らに挑む武田軍は、捨て身の人海戦術で襲い掛かる。戦車に群がり足を止め、ヘリに飛び乗り地へ叩き落す。鉛玉を撃ち込まれてなお、天を舞うシコルスキーに挑もうと迫る真田昌幸(演:角川春樹)の形相には、理屈では説明つかない凄みがあった。本当の強さとは、武器で無く心に宿るのである。自衛官は1人、また1人。森陰で、廃寺で、塹壕の底で、歴史の闇に消されていった。自衛官の死は、彼らの暴力とは打って変わって、陰気な場が多い。現代兵器に胡坐をかいた彼らの暴力は、それを遥かに超える超暴力の前に屈服されたのだ。末恐ろしいことに、野望を打ち砕いたのは武田信玄。そう、彼は天下人ではない。慢心した現代人が使う兵器など、戦国時代ではただの鉄クズ。彼らは異世界になぶり殺されたのだ。
 本能のままに暴れた男たちの死から、早40年。角川のもとには、異世界を我が物顔で歩く若者たちが集められつつある。彼らの行く末はどうなることやら。「歴史は俺たちに なにをさせようとしているのか?」。角川映画にとって、『戦国自衛隊』はまだ終わりでは無いかもしれない。
鋼鉄隊長

鋼鉄隊長