ひでやん

セッションのひでやんのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
4.5
ラストシーンのフレッチャーの行為について解釈が分かれるでしょうね。いい人なのか?悪いやつか?復讐のためか?才能を引き出すためか?

フレッチャーを「悪」と見るなら、例えば、指導している所を動画で隠し撮りしてネットで流せば、行き過ぎた指導だ!体罰だ!パワハラだ!とメディアやネットで叩かれるだろう。精神的に追い込んで才能の芽を潰している。自殺に追い込んだ生徒に対して反省しているように思えず、教育者として失格だと思う。ラストはただの復讐に思える。恥をかかせ、音楽人生を終わらせる計画だ、と思う。

だけど、完全悪だと言い切れないところがある。こういう指導、教育を叩いて世の中から排除すると、生徒はぬるま湯にどっぷり浸かり、不屈の精神が失われる。少しばかり必要悪とも思える。そこんとこの匙加減が非常に難しい。

アンドリューの演奏も身勝手なものに感じる。独り善がりなソロ演奏。だけどステージ上での音楽はその瞬間に生まれるもので、新鮮な生物である。

天才、鬼才、偉人と呼ばれる人って、とんでもエピソードがよくある。そんなことやらかしたのか!という話。アンドリューは、やらかした。それに対してフレッチャーは、お前何やってんだ!ふざけんな!オレのバンドをぶち壊すつもりか?そんな怒りの感情が変化する。

フレッチャーが求める領域に近づいていく彼に、来るなら来てみろ!もっとだ!もっと来い!と要求する。そこにはもう密告に対する恨みつらみはない。音楽を愛し、音楽の才能を評価する男に変わっている。

譜面を渡さなかったフレッチャーの行為を復讐と解釈しても、潜在能力を引き出すために敢えてそうしたと解釈しても、いずれにせよ結果、アンドリューはフレッチャーによって覚醒したのだ。

どうしても越えられなかった壁を越え、限界突破したアンドリューと、彼を認め、労うフレッチャーに感動せずにはいられない。胸が、目頭が熱くなった。
もうチキンスキンスタンダップ!
(鳥肌が立った)

そして、ゆっくりと感動する時間を与えてくれずに、物語は最高潮に達したところでスパンッと気持ち良く終わるから、エンドロールで余韻に浸った。
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