亘

独裁者と小さな孫の亘のレビュー・感想・評価

独裁者と小さな孫(2014年製作の映画)
3.8
【憎しみの連鎖は止まるのか】
とある独裁国家。大統領は国民の窮状をよそに豪華な暮らしを送っていた。ある夜幼い孫と共に国中を停電させる遊びをしていたところ暗闇の中でクーデターが起こる。大統領は孫との逃避行を始める。

国民を苦しめ続けた大統領が逃避行をする中で国民の自らへの憎しみを知り、反省をする。傲慢な大統領の心情の変化と変わらない国民の憎しみを描く。大統領が変化をした最大の要因は、何も知らない孫を巻き込みたくないという思いだろう。初めは自分が逃げられれば良いと考えていた大統領も次第に孫を守りたいという思いに代わる。反省している点に加えて孫思いの面を見せているからこそ観客も大統領を絶対悪としてとらえきれない部分もあると感じた。

大統領は孫に自らのすごさを見せるため、そして孫を楽しませるためという自分勝手な理由で国中の電気を止めて見せる。そして孫にも挑戦させたところで銃撃が起こるのだ。そして翌日大統領の妻や娘の外遊を見送った後にクーデターが本格化。街で暴動がおこり大統領の専用車は民衆に包囲される。護衛は殺され運転手も逃げ出してしまう。大統領と孫だけ残されたわけだけど序盤は大統領の強引さが目立つ。床屋に押し入り無理矢理髪を切らせ服を奪い、羊飼いからは強引に棒を奪う。まさに被害者たちの気持ちは無視していたし、自分たちの焦りしか見えていない状態だった。

その後彼らは旅芸人を装い始める。大統領がギターを弾き歌い孫がそれに合わせて踊るのだ。牛小屋で寝たり、バンに大人数で乗って窮屈な思いをしたり大統領にとっても2人にとっても想像しなかった世界。さらにその中で警備隊にレイプされ失望のあまり自殺する花嫁や、生理中なのに仕事をする娼婦など庶民の悲哀を目の当たりにするのだ。特に娼婦は大統領も客にとったことがあるから全て隠さず話し鬱憤も話す。このころになると出会う国民は基本的に"旅芸人"の大統領に同じ目線で話してくる。大統領にとっては庶民の苦労を直接知り考えるところもあったのかもしれない。

大統領はここまでで変化してきてるけど、時折挟まりアクセントになっているのが孫の宮殿生活の回想シーン。孫は、また宮殿に戻れることを信じ、そして仲良しの女の子マリアと会えることを待ち望んでいる。特にマリアへの思いは強くてマリアに見えた女の子を追ったり、マリアと遊ぶことを夢見たり、彼の純粋さが見える。だからこそ祖父である大統領と庶民の間の大人の事情に巻き込まれるのは不憫に思える。

その後大統領と孫は、政治犯たちと出会う。彼らは大統領による独裁政権に反逆したために捕まり、国のことを考え"民主主義"の議論をしている。彼らの中でも大統領の愚行に報復するのか、報復の連鎖を断つために処刑しないのか意見が分かれているのだ。そして彼らの中に大統領の息子夫婦の殺害犯がいることを知る。大統領自身これは許せなかっただろうけど、ここで身元がバレては捕まってしまうという思いもあり踏みとどまる。彼の辛そうな表情は、独裁政権で家族や友人を失った国民の悲しみを体感したからかもしれない。その後独裁政権により引き裂かれたカップルの男の自殺を目の当たりにしさらに自らが招いた悲劇を知る。

終盤大統領と孫は海にたどり着き"ゲーム"を終わる。もう孫は大統領を「おじいちゃん」ではなく「陛下」と呼んでいいのだ。大統領としては孫にこれ以上無理をさせたくなかったのだろう。大統領のプランでは海から外国へ亡命する予定だった。しかしそこに革命軍が駆けつけ大統領の処刑を決行しようとする。そこでも「ただの首つりは生ぬるい。孫の射殺を見せつけて苦しめよう」や「火あぶりの方が苦しむ」といった報復への意見が出る一方で「処刑しても何も始まらない。」という憎しみの連鎖を断ちたい意見も出る。孫の方は優しい政治犯のおかげで喧騒を抜け出し静かに踊る。大統領は反省はしているだろうけど国民の怒りは消えない。大統領への仕打ちは因果応報なのかもしれないけどこのままでは負の連鎖は断ち切れないだろう。せめて孫には平和に暮らして言ってほしいと願わずにはいられなかった。

印象に残ったシーン:孫が宮殿生活を回想するシーン。大統領が様々な庶民の苦しみを目の当たりにするシーン。孫が海辺で踊るラストシーン。
亘