銀幕短評(#374)
「ビューティー・インサイド」
2015年、韓国。2時間 7分。
総合評価 94点。
こんないい映画があるとは知らなかったな。 大胆で 繊細で 切なく あたたかい恋愛ものがたり。とてもよくできています。家具作りのようにすみずみまで丹念に。映画の醍醐味がぞんぶんに味わえる。
これは、愛する彼の 彼女の アイデンティティは何か、いったいあなたは何を愛しているのか、というものがたり。なにも読まずに何も聞かずに観ないと もったいない映画です。
と、すでに書くことがなくなったので、久しぶりにおまけをつけましょう。「オアシス」(#352、74点)の回で ほのめかした おもしろいテーマを取り上げましょう。
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恋愛について
と 大げさにいっても、わたしの恋愛経験は まことにささやかなもので、交際した女性もごくごく少数です。しかし 今回はよい機会なので、この関心事を考えてみましょう。
はなしを簡単にするために、仮に出演はおとことおんな、ひとりずつだとしましょう。
“恋愛” とひとくくりに呼ばれることが多いけれど、では恋と愛とは何がどうちがうのでしょう。それがわたしの問題意識です。
初恋、といういい回しはあるけれど、初愛というのは聞いたことがない。ひとが子からオトナに生長する過程で、どうやらまずは恋を経験し、長ずるにしたがって愛を知るようになる。恋は比較的にシンプルなこころの情動なのに対して、愛はなにか ある程度成熟した技術?のたまものかもしれない。
順序からいうと、まず恋を自覚し なにかの化学反応を経て愛に変質する。恋を入り口にもたない愛は考えにくい。愛から恋に逆行することもむずかしいかもしれません。いかがお考えですか。
恋は盲目、とはいうが、愛は とはなかなかいわない。彼を深く愛して結婚しました、とはいうが、炎のような恋で結婚したとはいわない。さあどうちがうのでしょう。‘愛’ とは ‘恋’ をサイズアップしたものでしょうか? 大きく深く 穴を掘るように?
なんだか前置きがながくなっていますね。と、書きながら わたしは考えているのです。書かないと考えられない。
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ここで禁じ手を使いますが、きょうはここで考えるのをやめます(あそび過ぎてつかれました)。つづきは あまり間を置かずに、コメントのカタチで ここにぶら下げます。
もしご興味がおありなら、ふたたびのぞきにきてください、ぜひ。もしよければ、あなたのお考えも教えてください。よろしくお願いします。
(コメントぶら下げました。長いのを。)
(アメリカ「エブリデイ」#380、67点との対比をそちらに書きました。)