ジャン黒糖

ガールフッドのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

ガールフッド(2014年製作の映画)
3.4
『燃ゆる女の肖像』『秘密の森の、その向こう』のセリーヌ・シアマ監督2014年製作のフランス映画。

【物語】
郊外の集合団地に暮らすアフリカ系移民のマリエムは、仕事で忙しく普段家にいない母や地元の不良集団と行動している兄に代わって、自分を律するように妹の面倒を見る日々。
忙しい毎日のなかで成績悪化、高校進学も難しく、職業訓練を教師に勧められ、肩を落としながら下校しようとしていたある日、たむろしている女性の不良グループ、レディ、フィリー、アディアトゥに遭遇する。
彼女たちの威圧感に萎縮するマリエムだったが、同時に彼女たちの社会に対し奔放な姿を魅力的にも感じ、彼女たちとつるむようになるのだが…

【感想】
タイトルや、アマプラで出てくる4人の少女たちが笑顔で抱き合っているサムネからして女性連帯モノ的な映画と思って観始めたが、ラストは自分的にはバッドエンドに感じ、驚いた。

たしかに、映画前半はマリエムと、彼女を受け入れた不良少女グループの、地元で奔放に立ち回る姿や、窃盗、ゆすりで稼いだお金で泊まるホテルでのどんちゃん騒ぎなど、この年ごろの女性特有の「集まったときのウチらまじ最強」な連帯姿が描かれる。
特にホテルでリアーナの「ダイヤモンズ」を聞きながら歌い踊る場面は、歌詞の内容も相まって、そこだけ4人が世界から切り離された、4人だけに共有された特別な時間として映し出され、印象に残る。

歌い、踊り終わった彼女たちが思わず笑い合いながら抱き合い「私たち最高!」と、謳歌する姿にはまさにタイトル通りの親密さが全面に溢れて出ている。


ただ、本作はそうした女性が連帯することを一面的にみて賞賛に終わらせたりはしない。

前半が女性たちの連帯による強さ、であれば、後半は女性が"個"でいることの不安定さ、弱さが描かれるように思った。

その転換点ともいえるのが別の不良少女グループとのケンカの場面。
ここでグループのリーダー的存在であったレディは負けてしまい、次にマリエムたちと会う時には坊主姿で現れる。
そしてそれはケンカに負けたからではなく、父に切られた、と。

その後レディの復讐を果たすためにマリエムがリベンジ戦を挑むことになるのだが、これは実はレディのため、ではなく、自分のためでもあった。
この、個人の目的のために"個"が行動する結果どうなるのか、が後半は徐々に辛いものとして彼女にのしかかってくる。
ただのリベンジ、とだけ見ればレディからは仲間を想っての行動と受け取られ、感謝されるし、妹の強さを認めた兄からは受け入れられる。

ただ、個人の判断による危うさは、常に本人の思いもよらぬ形でしっぺ返しされることになる。
兄には黙って近所の男友達と交際するようになったのも、レディたち不良グループの仲間入りをしたのも、そして兄からの暴力から逃れるため家出をして別の不良グループと行動を共にするようになるのも、すべては冒頭描かれてきた長女としてお母さん代わりに妹たちの面倒を見てきた姿からは程遠い、彼女自身が決断、行動した結果だ。

後半では、こうした4人での楽しい時間や、彼とのロマンチックな時間、家族との生活などが奪われ、剥ぎ取られ、孤立化していき、ラストにはもう事態を建て直すにはとっくに手遅れであることを彼女自身が自覚したであろう、と思われるところで本作は終わる。

その姿は、映画序盤の先生との面談でも表れている。
成績が悪過ぎるのは誰のせいか?
自分のせい?先生のせい?家庭環境のせい?
理由は本人のなかであるにせよ、高校進学を目指すにはもう手遅れ。彼女個人が「こうしたい」といっても、成績が伴わなければ進学はできない。

これと同じように、終盤にも彼女のもう手遅れとなってしまった現実、が容赦なく描かれる。

同じくセリーヌ・シアマ監督作『水の中のつぼみ』の感想のなかで自分は「叶わぬ想いを追い求めるゆえに理想と乖離していく現実に直面する女性たち」を描くのが監督作の特徴では、的なことを書いた。

では本作におけるマリエムが思い描いていた"理想"とはなにか。
それは、"自分らしさを一番ありのままに表現できる自己の強さ"ではないかなと。

映画冒頭、彼女がアメフトで活躍する姿が描写される。
アメフトは言わずもがな、フィジカル面ではスポーツ界屈指のハードなスポーツ。
そして担任と面談を終え、進路に絶望するマリエムが出会ったレディたちは、自分たちをありのままに、開放的なままに社会と接続できる強い女性たちに見えた。
そしてずっと気になってた男友達とは兄との関係もあり、進展したくはなかったが、強さを手に入れたことで、せっかく自分を受け入れてくれる彼との関係も踏み込んで良いのでは、と考えるようになった。

でも現実、上述のとおりそううまくはいかない。

彼からは「自分と結婚すればいま目の前に起きている障害はなくなり、いい奥さんでいられる」と甘い言葉をかけられるが、そこでマリエムは一抹の違和感を抱く。
彼の甘言に孕む危うさは、ちょうどいま放送中の日本ドラマ「こっち向いてよ向井くん」で主人公・向井くんが、同棲していた彼女に「"君を守る"っていうけど、"守る"ってなに?」と聞き返され、言葉が出てこなかった場面にも少し似ていると思った。

女性の社会進出が進み、女性の自立が当たり前となった世の中で、女性はいつまでも男を支える"奥方の存在"ではなくなった。
その意味で、"奥さん"ってもう気軽には言えない時代になったなと。


そんな訳で彼女は、"ありのままの自分"を追い求めるあまり、彼との時間、レディたちとの時間、家族との時間、これらを棒に振って孤立化していく。
切ないラストに考えさせられた。
セリーヌ・シアマ監督、恐るべし。
ジャン黒糖

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