つかれぐま

スター・ウォーズ/最後のジェダイのつかれぐまのレビュー・感想・評価

4.0
17.12.16@大泉#1

伝説の破壊、その責任

Disney Star Wars #3
清々しい程の壊しっぷりに息を呑む。しかしスターウォーズはカルト映画だ。過去作(つまりは「経典」)を焼き払うのならば、代わりの経典を提供しなければ信者が許さないのも理解できる。

「フォースの覚醒」「ローグワン」で禊ぎを済ませたディズニーが、いよいよ世界観の書き直しに着手した。冒頭でレジスタンスの爆撃機が初登場するが、無重力の宇宙で爆弾を「落下」させるという荒唐無稽が、ここから始まる本作のベクトルを示す。

型破りの連続に、この映画が果たしてどこへ向かっていくのか?何が起こるか分からない楽しさを味わった。旧いものを壊して葬る禁断の美味、それが昇華されるレイとレンの共闘シーンには快哉!

但し、その代償も払った。
(本来は手段である)型を破ることが目的になってしまい、副作用として色々な破綻が目立つことに。まさにルークに言わせれば、
「素晴らしい、全て間違っている」
この台詞はメタ的に本作を語ってもいる。

スターウォーズのようなカルト作品は「経典」として何度も見返されるのが宿命だが、本作はそれに適していない。観れば見るほど、どんどん破綻が見つかっていくからだ。経典を焼き払うからには、代わりの経典を信者のために提供しなければならないが、本作が代わりとなるだけの要件を満たしているとは言い難い(私のスコアもあくまで初見時に対しての評価)。

この辺が賛否両論の理由ではないだろうか。監督はこうなることを予見した上での「確信犯」だと思うが、(作品評価はさておいても)その勇気には称賛せざるを得ない。

以下、柴尾英令さん(故人)という方のFacebookより引用。

困った作品を作ってくれたな。というのが、初見時の感想だった。通常であれば、ネタバレに配慮してレビューするところだが、今回はそうもいかない。というわけで、ネタバレありで書いていく。
 
 あたかもドラマ1シーズン13エピソード分の情報量を152分の尺に凝縮させ、設定のほとんどをセリフで説明していく。まるで総集編を見ているようだった。よくできた、見どころが多く、ついでに泣かせどころも多い、けれども凡庸な映画だと感じてしまった。こんなの「スター・ウォーズ」で見たくなかったよ。
 
 まるで、「この会社を作ったのは、創業社長とその一族なんだけど、時代も変わった。いまとなっては彼らも彼らの主張も老害だ。これからはこの会社の真価を知っている自分たちが、顧客のために、サービス満点の良質な製品を作っていくぞ」という決意表明映画のようにも感じてしまった

ジョージ・ルーカスという創業社長には引退していただき、プロダクトデザインと商標は大事にする。それから、古い顧客への配慮といいつつ、核心を拒絶し、同じテーマを反復していたJ.J.エイブラムスとそのプロダクツにもいったん退場していただこう。
 
 「最後のジェダイ」! ジェダイは終わった。ついでにスカイウォーカー一族も終わった。レイの能力はスカイウォーカー一族の能力によるものではない。彼女の多少特異だけれど、彼女自身の努力によって、生まれたものだ。
 
 ライトセーバーは取り扱いの難しい武器ではあるが、特別なものではない。練習をすれば、だれにでも使えるものだ。
 
 フォースの暗黒面? フォースに光も闇もなければ、善も悪もない。フォースはただの能力で、持ち主の使い方次第で、いいことにも悪いことにも使えるんだよ。
 
 ファースト・オーダーの最高指導者、スノークだって? ダース・プレイガスかダース・シディアスかとか、外野はややこしいこといってるけど、ぶった切れば死ぬただのキャラじゃないか。
 
 ルーク・スカイウォーカーが伝説のジェダイ? いまどきのことも知らずに、世捨て人同然に逃げまくってる偏屈な親父じゃないか。
 
 レイの生まれ育ちなんて、大した問題じゃないんだよ。孤児だけど、立ち上がったという事実が大事。カイロ・レンもなにを大事そうにダース・ベイダーを模したマスクをかぶっているんだ。
 
 ヒーロー? ストームトルーパーから生まれたヒーローとして扱われたフィンだって、やばくなったら、逃げ回ったりするただの人間じゃないか。
 
 ジェダイ・テンプルに伝説のジェダイの書。そんなのくだらないよ。ぜんぶ燃やしてしまえ。これからはおれたちの時代だ。
 
 「スター・ウォーズ」に必要なものって、なんなの? つぎにどうなるかわからない。ハラハラドキドキの要素であるクリフハンガーとしての構成と若く魅力的なキャラクター。そして、魅力的なエイリアンとメカが宇宙を舞台にドンパチしているイカした映像が生み出すカタルシスじゃないの? だからそこを追求するために、いちど大掃除をするよ。
 
 まいったね。

「革命無罪」、「造反有理」をスローガンに打ち出した文化大革命みたいな映画だと思ったよ。毛沢東という老革命家が、老境にいたったとき、若い紅衛兵たちを先導して、宗教、教養、文化といった文物を否定して暴力によって破壊したような映画だった。
 
 そして、その一方で、もともとの「スター・ウォーズ」にあった時代の空気もくみとっている映画でもあった。テレビというメディアの躍進によって、退潮していた映画業界の中で、文芸作品やニュー・シネマといったややこしい作品を、あたかもゴルディアスの結び目のようにぶった切った娯楽作品が「スター・ウォーズ」だった。
 
 自家中毒のようにファンやマニア、評論家がそれぞれのスター・ウォーズ論を語り、ディテールのひとつひとつから、精神性にいたるまで、それぞれの知識に基づいて、正しいスター・ウォーズを語る時代の中で「多少不格好でもおもしろければ、それでいいんでしょ? その線でやってくから、邪魔なものを排除していくね」とばかりに、大鉈をふるいまくった「スター・ウォーズ」殺しの「スター・ウォーズ」だった。
 
 ぼくは12月上旬は南アフリカ共和国に旅行してきた。ネットや施設など、旅先の環境でまったくといっていいほど、映画を見られなかった。そんな状態で「最後のジェダイ」を見たのだが、しばらく映画を見ないあいだに、パラレルワールドのちがう世界に来たのかと思ってしまったよ。
 
 まるで歳をとったキャラクター順にソートして順番に殺していくことに躊躇しない老害排除ぶりが徹底していたからね。
 
 ジョージ・ルーカスが「最後のジェダイ」を肯定的に語っているそうだが、それも当然なのかもしれない。老いた革命者は老境に達したとき、自分のフォロワーではなく、革命の精神を受け継ぐ若者に未来を見るからね。毛沢東が扇動した文化大革命のように……。そういう意味では、デッドコピーにも見える「フォースの覚醒」ではなく、すべてを破壊しつくす「最後のジェダイ」に未来を見たのだろう。
 
 神話の再構成とかいってるけど、そういうことなら、自分以上にうまくやれるやつはいないんだ、だったら、訳知り顔のJ.J.エイブラムスが同工異曲の「フォースの覚醒」スター・ウォーズを作るより、いまどきの情報量で刷新するライアン・ジョンソンの「最後のジェダイ」と思うこともあるだろう。
 
 自分はといえば、空白恐怖症的にキャラと展開を詰め込んだ「トランスフォーマー」みたいな「スター・ウォーズ」よりもエレガントでクラシックな「スター・ウォーズ」を観たいんだけどね。そういうのはもう望めないんだろうな。期待を募らせすぎたファンがディテールひとつひとつにもクレームを付けてきたプリクエル(エピソード1~3)でルーカスが負った傷は大きかったのかもしれないね。
 
 なによりも閉塞感のある時代の中で、こういう「スター・ウォーズ」が生まれたことは仕方ないのかもしれない。

だが、しがらみだらけの英雄を殺して生まれた、しがらみなき新たな英雄を見守る気にはなかなかなれない。“泣ける”映画が苦手な自分に、“泣ける”スター・ウォーズはあまりに悲しい。
 
 そして、これってやっぱり30年以上前に、「機動戦士ガンダム」が目指したことじゃないのかとも思う。フォースの概念とニュータイプの概念の変遷を重ねてしまったりもする。
 
 そして、この破壊のあとから、なにが生まれるのか、J.J.エイブラムスが、どのような舵を切るのかを見てみたくはある。ただ、どのような舵を切ったとしても、もはや、自分が好きだった「スター・ウォーズ」はないのだろうな。スカイウォーカー家の思いはカイロ・レンに収斂することでは終わらない。
 
 スカイウォーカー家の運命が銀河の運命を担うのではない。そこに住む数多の人の思いで決まるのだ。ごもっともです。数多の人の多様な思いは往々にして、さらなる混沌を産んでいく。そして、果てしない戦乱が続く「スター・ウォーズ」フランチャイズからは、なにが生まれるのだろう。
 
 いつかまた何周かして、古典的ロマンの「スター・ウォーズ」が帰ってくるときまで、ぼくは生きていられるのかな。

引用終わり