鋼鉄隊長

怪物はささやくの鋼鉄隊長のレビュー・感想・評価

怪物はささやく(2016年製作の映画)
4.0
TSUTAYAで借りたDVDで鑑賞。

【あらすじ】
病気の母と暮らすコナー少年は、家庭や学校で問題を抱えていた。そんなある夜、イチイの大木が怪物に変化し、少年に3つの物語を話し出した…。

 「怪獣=悪」とは限らない。僕は怪獣が大好きなので、そんなことは言われなくても理解しているつもりだった。しかし、何故かこの映画に登場する怪物を悪い奴だと勘違いしていた。メフィラス星人がサトル君に「地球を貴方にあげます」と言わせようとしたように、怪物がコナー君を騙そうとしているのだと。だがそれは大きな間違いであった。
 そもそもこの作品は、はじめから怪物を「悪」として描いていない。そのことは序盤に登場する祖父の遺品のフィルム映写機が物語っている。フィルムに残る映像は『キングコング』(1933)だ。美女を連れ去りエンパイア・ステート・ビルに登ったコングは、飛行機からの砲撃により息絶える。「なんで殺すのかな?」と母に問いかけるコナー君は、間違いなくコングに自身を投影していた。このシーンを観て、怪物(理解出来ないモノ)を単純に悪と決めつけるべきでは無いということがわかる。
 では何故勘違いをしたのか。だって怪物が怖いんだもん。完全にコナー君のマイナスエネルギーで実体化した怪獣にしか見えない。何とも言えない後味の悪い話を聞かせるのも、マイナスエネルギーを増幅させるのが狙いだと思った。きっと最後には、コナー君を触手のような枝で絡め取って夜の街をひとしきり破壊し、硫酸の涙を流してお祖母ちゃんの家を溶かすのだろうと予想していた。だが実際は、コナー君自身の心の問題を物語に例え挑んでくる存在であった。つまりコナー君は怪獣と戦うウルトラマンなのだ。
 そこまでわかってくると、何と素晴らしい怪獣映画なんだと驚かされる。始めはキングコングのような怪獣(理解されずに退治される悲劇の存在)だった少年が苦難を乗り越えウルトラマンに変身し、怪物(心の葛藤)を倒す。しかも怪物は単なる悪では無く、子を心配する母性を持ち合わせている。だからこそ、怪物を退治(自立)する必要がある。一皮むけたコナー君の姿を見られて、イチイの木の怪物も怪獣冥利に尽きたことだろう。少年の成長が怪物を倒したのだ。
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