エディ

軽蔑のエディのレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
4.5
ちょっとした感情のすれ違いがさざなみになって、どんどん波が大きくなり拭いがたい不信感の波にまで大きくなり夫婦関係の破滅に綱がる様子を描いた素晴らしい映画。何が言いたいのか判り難いゴダールの作品の中ではダントツに判りやすいので、自分はこの作品が一番好きだ。
劇作家ポールは、自身の作品の映画化をしている傲慢で無神経なプロデューサージェリーに必要以上に気を遣っている。その映画でシナリオが採用されれば二人が住むマンションのローンが完済できるからだが、書き直せといわれたら言われたとおりに書き直そうとするし、愛する妻カミーユに色目を使いポールの目の前でカミーユだけ誘われているのに、ポールは嫌がるどころか一緒に行ったら?などと媚びている。それがきっかけで二人は徐々言い争いが増えて息、とうとうカミーユは「あなたを軽蔑している」と吐き二人の関係は壊れてしまう。。。

愛し合っていた二人の歯車が狂い始めるのは、性悪で傲慢なプロデューサーである米国人ジェリーのせいだ。映画に採用されれば借金返済ができると考えたポールは、監督とは映画の芸術論争を繰り返しジェリーの無知を笑っているのに、ジェリーのいうように観客迎合的なシナリオ改変に応じる。それだけでも腹立たしいのに、明らかにカミーユを狙っているのに、ジェリーの言いなりにカミーユを接待させようとしてしまう。
これは男と女の気持ちのすれ違いというよりは、「社会と接している側と家庭に入っている側との軋轢」「公私の境界に対する考えの違い」だろうが、このような軋轢は結婚すると本当によくあることだ。
ちょっとした仕草や発言でさりげなくカミーユは「嫌だ」信号を出しているのに、媚びることしか考えていないポールはそれに気付かずKY的に彼女に幾度となくジェリーの別荘に行こうなどと言い続け、あいまいな態度を取ったカミーユに逆ギレしてしまうので、二人の関係に一気にヒビが入ってしまう。
実際の悲劇的な関係決裂のきっかけはこういう些細なことだと思う。さざなみが共鳴して次第に大きな波になって、大波になって二人を引き裂いてしまう過程が見事なまでに描かれている。
現実には両者に言い分はあるが、この映画はブリジット・バルドー演じるカミーユの立場に立って作られているので、ポールの気持ちを理解するのは困難だが、カミーユが怒り軽蔑する理由は手に取るように判るしラストの出来事に及んだきっかけも理解できる。
これを劇中映画の主人公である、ホメロス作のオデュッセイアの主人公ユリシーズと妻の関係とリンクさせてきて、上手く説明できないカミーユの代わりに監督やポール自らが芸術論として二人の関係を描写していくのだ。なんという凝った作りなのだろう。
カミーユはポールを軽蔑した理由を上手く説明できないし、実際の場面でもこういう微妙なすれ違いを上手く説明することは困難だが、この映画は90分程度の尺で、すれ違いが決定的な破滅に繋がる仕組みを見事に描ききっている。

そして、それは単にすれ違いを描くだけでなく、冒頭丁寧に二人のまったりとした愛を描いたことにより引き出されているのだと思う。一見他愛のない会話に見えるが、カミーユはあの会話で「自分の全てが好きか」ということを尋ねているのだが、ポールは言葉遊びのように「うん」と肯定し続けるばかり。男と女の感性の違いを冒頭で描いたからこそ可能になった完璧なまでのすれ違いのプロセス描写だと思う。

観ている間ずっと心がざわめいて破滅の胸騒ぎがして、観終わったあとにまるで自分に降りかかった問題のように「やっちまったという後悔」すら覚える素晴らしい作品。
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