レインウォッチャー

ウイークエンドのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ウイークエンド(1967年製作の映画)
3.5
WEEKENDはお楽しみがいっぱい、欲望と暴力に帰るとき。

とある週末、プチブルジョアの夫妻が田舎を目指して車を走らせる。ところが間もなく道中は地獄となり、交通事故と死体が連綿と続き、彼らも車を失う。様々な人々と出会いトラブルを経験しながら、顕わになる愚かで利己的な性格。やがてゲリラ集団に捕まって…

文明や富の象徴であろう車車車が、『マッドマックス』の4倍くらいたたっ壊され燃やされて道脇に積みあがる。
永遠かと思われる渋滞、クラクションの交響楽を、ゆっくりとした横スクロールで見せていく様は、人間道から修羅道へ続く絵巻物か。『クラッシュ』(クローネンバーグの)の彼らをこの世界に連れてきたら大喜びしそうだな。

この一生忘れなそうな光景に、アルゼンチンの小説家J・コルタサルの『南部高速道路』という短編を思い出した。(※1)
この短編もまた車道が舞台で、原因不明の大渋滞に身動きのとれなくなった人々の群像劇だ。南米文学らしい超現実飛躍で、渋滞の中で季節が巡り、愛や死があり、人々がコミュニティを形成していく様が描かれる。

今作の夫妻が経験する地獄めぐりも現実と地続きの幻想の中で起こり、やはり時空が異常(田舎にたどりつくまでまる一週間かかったりする)なところが似ているけれど、大きな違いは彼らが団結しないことだ。
代わりに描かれるのはひたすら分断、搾取、瞞着。都市から田舎へ、それは人間的な文明や理性の喪失と重なって、最終的にはゲリラのもとで狩猟採集的な社会(そしてさらにその前の畜生道)へと戻っていくようでもある。

このようにスパイス効き過ぎブラックユーモアとしての側面は面白く完成されているし、もちろん持ち前の映像&編集力による画力は抜群だ。しかしなにぶん、ポリティカルな要素が直接的で香ばしすぎる。

繰り返されるアジテート演説は冗長だし、車が燃えて「あたしのエルメスのバッグが~!」とか、労働者にモーツァルトを静聴させる下りとか、流石にやりすぎ。
このへんは個人の適正によるところが大きいだろうけれど、ぬるま湯に漬かってWEEKENDにこれを観ているようなわたしとしては、映画=「詩」の領域をはみ出していると思う。もっと言えば、折角の貯金を切り崩しているようでモッタイナイとか思っちゃう。

時代はフランス五月革命前夜、ゴダールさんはいわゆる「アンナ・カリーナ期」を終えて「政治期」に入っていくらしい。女なんかもう知るか、そんなことより革命じゃ!とは遅れてきた大二病(当時37さい)みたいで微笑ましくもあるけれど、まあメンタルディスタンスをとって観戦しておきたい気分。

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※1:調べてると、実際に参考にした?ようでもあり。確度は不明。