つかれぐま

ラ・ラ・ランドのつかれぐまのレビュー・感想・評価

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.0
17.2.25/3.1大泉#1

人生のマジックアワー

表と裏、二つのテーマを見事に融合させた傑作。表は流麗なキービジュアルからも連想されるとおり、エンターテイメントへの讃歌。前作「セッション」(これも大傑作!)で、主に音楽筋からその扱いを批判されたチャゼル監督だが、本作では、セブの愛するジャズ、80年代ポップス、荒城の月まで全ての音楽と、そこに携わる人々を肯定して、セッション批判筋へのアンサーとしている。ラスト、セブの演奏は、別れた二人につかの間の「ララランド」をほろ苦く垣間見せる。プールサイドのバンドも、エレベータのBGMも必要で愛しきモノであることに変わりない。

一方の裏テーマだが、これは人それぞれ様々な解釈が成り立つ(こういうのは大好物だ)。私は「一人で成しうることの限界と、成功のためには周りの協力(とそこへの感謝)が不可欠であること」だと思う。

前半で二人は優しさはあるが、根拠のない自信に固執する「周りが見えない」人として描かれる。ミアはコーヒー店で客とぶつかるし、グレッグとのデートも途中で抜け出し、さらにはスクリーンの前に立つ。あの脚本「さらば○○シティ」も、とても面白いものとは思えない。

セブも、せっかく誘ってくれた旧友につれない。将来の店の名前もミアの提案を受け入れるそぶりはない。2人以外の登場人物を、非常にうすーく描くことによって、この雰囲気を出している。

私の一番好きなシーンは、出戻りオーディション直後の天文台でのシーン。このシーンが陽光ふりそそぐ白昼だったことに注目したい。これまでの二人のキーシーンは薄暮(大人でもない、青春でもない端境)や、夜(光り輝くものだけが見え、それ以外は見えない世界)だったが、ここでは逃げも隠れもできない、現実と向き合う腹をくくらなくてはならない白昼。二人の決意を象徴していて(但し口にする言葉は変わらない)、事実上のエンディングなのだろう。

5年後、二人は「周りが見える」大人になっている。セブは、自分の店を持つが、オーナーでもある以上、ゲスト演奏家も招き契約し、そして彼らに感謝している。店の名前もミアの提案だ。ミアは、夫と子供、ベビーシッターに囲まれ、彼女の成功が決して一人の力ではないことが暗示される。そしてミアは感謝を忘れない。ドライバーにもちゃんとコーヒーを奢ること(冒頭の「有名女優」はこれをしない)も忘れない優しき大人だ。

私は、ミアはあのオーディションに実は落ち、現実にはフランスに行っていないのではないかと思う。JKシモンズに案内された「ララランド」の中では、全て「現実では起きていない」ことが描かれている(それが音楽の力だ!)から、フランス行きそのものも、ifの世界なのではないだろうか。ミアの夫は、なにやら業界のプロデューサー風で、彼の力もあっての成功なのかもしれない。残念なことだがオーディション連敗だったミアの実力を考えると、現実にはそれが妥当な解釈かもしれない。そう考えると、セブの演奏を聴くミアの心中が本当にせつなく、ほろ苦い。

束の間の「ララランド」から現実に戻った二人は、優しき大人として無言でお互いを肯定しあう。決してバッドエンドではない見事な着地だ。