じんわり泣けたあ。
世のいじめっ子は、結局のところ無自覚とか想像力の欠如からくる暴走であって、良心というものを持ち合わせていないわけじゃないのだと思いたい。
劇中のファヨンも、罪悪感があるからこその立ち居振る舞い(鼻血まで出して)なのだろうと思うから。
そんなこんなを引っくるめて突き詰めて考えると、やっぱり、なにがあろうと、どんなに苦しかろうと、思い残したものがある以上、愛してくれるひとがいる以上、自殺はだめだと思うのです。
(無論、誰がなんと言おうと、いじめるほうが悪い。いじめ、ダメ、ゼッタイ。そんなことは愚問中の愚問というか、1+1は2以外のなにものでもない自明の理なのだからこそ議論するのもバカバカしい。疑問に思うことすら憚られる。意識にのぼることすら常軌を逸しているのですから議論の余地もないのは無論重々承知の上で、です)
自身を顧みてみれば、痛いほど気持ちはわかるのだけれど。
なにより家族を、そのひとを愛しているからこそ、恥ずべきことだと感じてしまうのは重々承知なのだけれど。
伝えてほしかった。
毛糸にくるんで雲隠れすることなく、直接言いたいひとに言いたいことを、言ってほしかった。
言わせてあげたかった。
逝ってしまったひとにだけ責任を負わせたいわけでもなく。
必ず救難信号は出ているはずなのだから。
気づいてあげたい。
アンテナはいつでも、立てておいてあげたいと、切に思うのです。
しかしこれ、なんでタイトル「優しい嘘」なんだろう。