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猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)のYMKのレビュー・感想・評価

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鑑賞日17.10.15
猿たちが武器を手に取り、馬に乗っている姿が好きだ。68年のオリジナル版で衝撃を受けた姿だった。10年に始まったリブート版から、CGの猿たちが馬を乗り回し68年の人類にとって脅威となる猿の勇ましい姿を復活させた。

その7年間にわたる3部作が終わった。旧シリーズへのリスペクトを込めながら、独自の解釈で描かれたが、画期的な制作・風刺の効く物語の両面で衝撃を与え続けているオリジナル版からしっかりとリブート3部作へ引き継がれている。

7年という年月を確認したが、相変わらず驚くほどに鮮明なCGには恐れ入る。1作目の『創世記』でも感じた衝撃よりも7年分進化した技術で本作も圧倒してくる。本作では雨や風、雪など様々な環境下に晒されるので、猿たちの毛の動きや表情から技術の賜物を見せつけられる。『ジャングル・ブック』でも感じたが、動物をモチーフにすることでCGの難しさと可能性が改めて観客に示され、その存在が嘘でもCGに対して命を感じることができる。もはや猿たちは俳優たちと同等の演技力を手に入れた。

今回のシーザーは大佐に身内を殺された復讐のために、仲間と別れて個人的な感情で行動をとる。これはシーザーに限らず前作でのコバや、本作の人間側へ寝返る猿もいる事から、人間らしさのレベルが猿も人間も同等であることを物語っているよう。大佐も大佐で、人類側の意思を統率する立場でも無いので、もはや猿か人間かではなく、群れ同士が入り乱れ泥沼な衝突が勃発し、まるで現実世界で起きている紛争のように描いている。

『猿の惑星』では「人間の愚かさゆえ」という表現をするために「誰が滅ぼしたんだ。この地球を。なんてことをしたんだ!」と鬼気迫る自覚シーンが象徴的で、それと比べるとこの3部作のメッセージ性は強くないかもしれない。「人間の愚かさ」という点では『創世記』で「ウイルス進化説」を用いて触れているので、前作と本作では猿たちが得たその後と人間達が失ったその後をなぞっているだけかもしれない。

それでも、希望的なメッセージがある。本作で登場する少女ノバ。言葉を話せず病気で弱いノバはエイプより劣っている立場で登場するわけだが、彼女こそがエイプと共生する新しい人類だ。(https://www.cinematoday.jp/news/N0088571)

動物園出身のバッド・エイプはシーザー達が知らない、知能の高い猿が世界中にいることを示し、物語で地球の現状を知る手がかりになる存在だ。この1人と1頭もまた、関わり方が違えど人類の行動が発端になって生まれた存在である。それでもシーザーは受け入れる。人類の産物を忌み嫌うこともせず、人類との争いを避けることを考えていた根本の姿勢が、今回復讐という行動を取っていても根強く備わっていることに注目しなければならない。

こうしてシーザーの心の葛藤を乗り越えながら築き上げたコミュニティとリーダーとしての生き様。そして、猿の惑星になる。
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