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ダンケルクのYMKのレビュー・感想・評価

ダンケルク(2017年製作の映画)
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鑑賞日
17.09.16

メッセージ性の強いものや感動秘話もの、惨状を描くもの、様々な定型が戦争映画はいくつも存在するが、これはその次世代型を観客に提案している。

その理由の三つ。

一つは、目視できない敵に怯える恐怖と、ギリギリまで研ぎ澄まされた緊張感を伴う脱出劇。その果てにある「撤退こそが勝利」を物語のゴールとする共通認識が序盤から備わる。明快でシンプルに鑑賞のポイントを絞りこんでいる。ノーランらしくないと言えばそうで、これが物足りなく感じるのも頷ける。単に異なる時間軸を交わらせるだけではそこまでカタルシスは得られない。が、それが功を奏し共感を越える「体感」を全編で徹底させた事が出来たのかもしれない。それは撮影手法はもちろんのこと、時計の針が際立つ劇伴、船やコックピットの閉塞感、怪我人優先の動きや空襲から身を守る動作など観客も1人の兵士となって(周りが兵士ばかりだから尚更)、境遇を共にする。

二つめは、映画の原始的な手法の数々。CG一切無しで大勢のエキストラと実際の船や戦闘機。そして極端なセリフの少なさ。サイレント映画かと思わせる冒頭の短い字幕とシンプルな構図のシーン。ある意味、退行したとも言えるが、むしろこれによって今後最新テクノロジーを駆使する、壮大でドラマ性のある戦争作品物よりも新鮮さが増している。

三つめは、戦争映画において敵を倒す意味を捨てた事。あるいは敵が対象ではなく概念だけで成立するという関係性。トム・ハーディが敵機撃墜しても、この映画ではなんの面白みも無い。あくまでも味方が逃げ切れなければ意味が無い。ここに先進的な映画の成立や楽しみの可能性を観た気がした。

私はこれを観終わった後に『大脱走』を思い出した。逃げることに成功する高揚感。または成功を思い描いて尽力する作戦遂行。その際中の一致団結した気分の高まりは正しく「体感」だった。そこには「敵を倒すこと」や「排除すること」は意味を成さない。「果たして逃げ切れるか!?」だけで良い。

『ダンケルク』には従来の戦争映画にありがちな、誰もが読めるような字で大きく掲げている教訓は無いかもしれない。もちろん“ダンケルク・スピリット”の再認識や映画だけで戦争に向き合わせるのではなく、観客がその後に戦争を気にして向き合おうとするメカニズムになっているもの評価できる(現に様々な批評には世界情勢や背景を事細かく書いてくれるものも多い)。

しかし、それ以外にも映画の原始的な部分を呼び起こして、それすらも再認識させようとした意識にエネルギーを感じた。『メメント』や『インターステラー』のような複雑さが感じられないのはノーランらしくないし、正直がっかりしている。冷静に考えて、戦争を体験させられて「あー、面白かった。」と到底思えない。

その分、直感的に訴えるエネルギーによって幅広い層にメッセージを分散させて表現したかったという意図だと思いたい。
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