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ブレードランナー 2049のYMKのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
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鑑賞日17.10.29(座席はK列)
2049年ブレードランナーの世界は大きく拡張した。

当時を知らず「ファイナルカット」しか観ていない私でも感じた『ブレードランナー』という偉大さ。明らかに続編は「タブー」だと分かっていたのに、観終わってみれば最初からそんな危惧は無かったかのように、ナチュラルに『ブレードランナー』の世界観を一回りも二回りも膨らませた。

ハイテクとアナログの入り乱れた小汚さ、街中で聴こえてくる言語や広告が多様に描写される無秩序感、そして独特のライティング。前作の雰囲気におんぶに抱っこではなく、ドゥニ監督が描くテイストが全体に根付いている。どのシーンも仮に静止画であっても見応えのある構図。『メッセージ』を観てもそうだったが、この人のSFはガジェットで楽しませると言うよりも、日常感を非日常感に変えて浸らせる感覚が強い。執拗に煽る緊迫感や恐怖感に頼らずとも刺激的な映像をつくれる事が魅力。この空気感が堪らない。

レプリカント(ネクサス6)と人間の決定的な違いは、記憶と寿命。そこから月日が経ち、『2049』に向けて短編が投入。今度はネクサス8(タイレル社)と9(ウォレス社)が登場し寿命が無くなった2つの違いは何だろうか・・・?と対比する。で、本編では前作と同じようにレプリカントとは何か、人間とは何か、について再び向き合うことになるが、その答えは高い次元で提示されていると感じた。

ウォレスとレプリカントたちの思惑。Kが捜査で辿りつくこと。これらで明かされることは、この時代に『2049』を鑑賞する私たちが、当時『ブレードランナー』を観て夢中になった世代を実感するように・・・又は『ブレードランナー』を観ていた世代が『2049』の世代にあたる私たちを産み落としたように、未来を継承する存在があると言うことだ。

主人公Kが本編を通して行ってきた行動は、自分の立場を自覚しつつも観る側から応援されるように描かれており、「どっちが人間らしいのか」と評価された前作の印象とは違った主人公像とは打って変わっている。例え物語上では違っても、Kは私たちにとっての“特別な存在”になったことは間違いないし、『2049』が続編(未来)として堂々と君臨している正体である。
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