りりー

人生タクシーのりりーのレビュー・感想・評価

人生タクシー(2015年製作の映画)
4.1
政府に映画製作を禁じられている(!)パナヒ監督。本作は、彼がタクシーの運転手に扮し、車内に設置したカメラで乗客を撮影したものである。こう書くとドキュメンタリーのようだが、これがどうも怪しい。冒頭、偶然乗り合わせた(イランのタクシーは相乗り制!)男女が死刑制度について討論する。賛成派の男性と、反対派の女性の言い分は平行線のまま、二人とも降りていく。車内でその会話を聞いていた男性は、運転手に貸切にしてくれと頼む。そして「パナヒ監督でしょう、このカメラで新作を撮影しているんですね」と言い、「さっきの二人は仕込みでしょう。僕にはわかる」と続けるのだ。問われた監督は微笑むだけで答えはしない。その後も、事故に遭い死にかけている男性とその妻、金魚を池に返さないとわたしたちは死ぬのだという老姉妹、強盗に遭ったパナヒ監督の幼馴染、パナヒ監督の姪、などなど強烈な人々がカメラの前に現れては去っていく。その面白さに、もう彼らが本物の市民だろうと役者だろうと、どうだってよくなってくる。ただ、ばらばらに話しているはずの乗客の会話が、ゆるやかに関連していくことから考えると、おそらく脚本があるのではないか。

乗客の会話によって構成された本作を観ると、映画は人の語りたいという欲求のもとに生まれるのだと思う。そして、観客が知らない人に、街に、出会うために映画があるのだと。相乗りのタクシー、雑多な海賊盤のDVD、死刑が中国に次いで多いこと、上映できる映画に決まりがあること、賑やかな様子の街並み。わたしが知らなかったイランの姿を見て、そう思った。

終盤、パナヒ監督の知人である弁護士の女性が、監督と姪にバラを手渡す。そのバラが、文字通り映画に捧げられるショットがとても美しかった。そのあとに訪れるあの劇的な幕切れは、監督の映画作家としての矜持のように思えた(だって、現実に起きたとは到底思えないでしょう?)。あの飄々とした風貌からは窺い知れない悲しみと苦しみを引き摺って、それでも映画を撮り続けるパナヒ監督。本作はイランでは上映許可が下りず公開されていないそうだ。観ることができてよかった。すべての映画人にバラを!
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