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母の残像のemilyのレビュー・感想・評価

母の残像(2015年製作の映画)
4.4
 戦争写真家の母イサベルの死後三年の月日が流れ、回顧展を行う事になり、写真の整理のため長男ジョナが父と弟の住む家に帰ってくる。写真を通して母の知らなかった部分が見えてくる。さらに離れた時間の間にお互いの知らない部分も交差し、3人はそれぞれの思いを抱えながらまた家族の絆を深めていくに見えたが・・・

 時間軸を交差させることで、見事に浮かびあがるそれぞれが抱える母に対する思い、それぞれの目線で描写されることで、抱える闇や心情が徐々に徐々に交差し、節々から母の残像がこぼれだす。3人を通して、イサベルの人となりや繊細に壊れゆく心情を溶け合うように感じ、しかしそれでもなお亡くなった後も彼女の知らない部分がどんどんあぶりだされていく。誰かを知るには自分ひとりの視点ではほんの一部しか賄えず、それは三人の視点からでもなおたった3つの視点なのだ。3人の知らない戦場での彼女、他の人と一緒に居るときの彼女、何十年と一緒に居ても、まだまだ一人のひとを知りえる事は到底不可能なのだ。だからこそ人と人はかかわり続け、なおも発見があり興味深いのだ。

 母の回想もそれぞれの視点で交わっていく。時間軸も、視点もさまざまでありながら、そこにあるのはそれぞれの愛である。そこに交差する三人が知りえなかった本当の姿、それが本当の姿なのか、3人に見せていたのが本当の姿なのかは分からないし、知る必要もないだろう。徐々にあぶりだしていく映像の交差の中で、スタイリッシュな色使いで見せるシーンの切り替え、ドキュメンタリータッチなインタビューや母の撮った写真の数々を交差させ、物語に奥行と深みを与えている。それぞれの視点には母との関係だけでなく、家族同士の会話や距離感、時間を超えて知りえなかった部分を知る事で縮まる距離感にそれぞれの心情や性格がしっかり交わり、溶け込み、心地良い適温家族の繋がりに安堵させられる。

 亡くなったあともなお3人の中で色濃く生き続ける母を演じるイサベル・ユペールはそれぞれの視点から見ると全然違った顔を見せる。そうしてその存在感と透明感、精神を破綻して崩れていく姿までもすべてが美しい。写真から観る彼女ですら、しっかり心情を物語表情を色濃く出しており、その圧倒的な存在感は観客の中にも残像として残していく。弟役を演じるデビン・ドルイドの青春期の繊細な心情を体当たりの演技で演じており、孤独感が痛いほど伝わり、シンプルな表情の隙間からさまざまな心情を見え隠れさせている。

 故人の残像は決して消える事なく、これからも生き続ける。当然捉え方次第でそれは前向きな気持ちにさせてくれるものでもある。彼女は亡くなってしまったが自分は生きている。息をしているのだ。彼女の残像はそれを痛切に感じさせるものでもある。そうして彼女の生きた残像が今と交差し、それぞれの背中を少し押すのだ。変わらない日々、母は居ないが、その生きた証は確かに刻まれている。
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